日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳天華」の意味・わかりやすい解説
陳天華
ちんてんか
(1875―1905)
中国、清(しん)末の革命家、思想家。湖南省新化の人。字(あざな)は星台(せいだい)、思黄(しこう)、号は過庭(かてい)。長沙(ちょうさ)時務学堂に学び、変法運動(戊戌(ぼじゅつ)の変法)に参加し、その後、1903年(明治36)日本に留学。「猛回頭」「警世鐘」など啓蒙(けいもう)的パンフレットを書き、鄒容(すうよう)の「革命軍」と並んで、革命運動の鼓吹に大きな役割を果たした。1904年湖南の革命団体である華興(かこう)会に参加して長沙蜂起(ほうき)に失敗、ふたたび日本に亡命した。一時革命運動の進め方に迷いを生じたが、中国同盟会の結成には積極的役割を果たした。その後まもなく、日本政府が「清国留学生取締規則」を公布、留学生の反対運動が起こったとき、『朝日新聞』に「放縦卑劣」とののしられた留学生に奮起を促すため、大森海岸に投身自殺した。
[伊東昭雄]
『島田虔次著『中国革命の先駆者たち』(1965・筑摩書房)』▽『島田虔次・小野信爾編『辛亥革命の思想』(1968・筑摩書房)』▽『村田雄二郎編『新編 原典中国近代思想史 第3巻――民族と国家』(2010・岩波書店)』