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陳天華 ちんてんか Chen Tian-hua; Ch`ên T`ien-hua

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陳天華
ちんてんか
Chen Tian-hua; Ch`ên T`ien-hua

[生]光緒1(1875)
[没]1905.12.8. 東京
中国,清末の革命家。字は星台,過庭。号は思黄。湖南省新化県の人。光緒 29 (1903) 年日本に留学,この間,革命団体華興会に参加し,また『猛回頭』『警世鐘』などの小冊子で反満共和の革命論を鼓吹し,大きな影響を与えた。

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百科事典マイペディアの解説

陳天華【ちんてんか】

中国,清末の革命家,思想家。湖南省の人。華興会に入り,《猛回頭》《警世鐘》など革命を鼓吹する熱烈な文章で大きな影響を与えた。1903年日本に留学,1905年文部省の留学生取締規則に抗議して自殺。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

陳天華 ちん-てんか

1875-1905 中国の革命家。
光緒元年生まれ。明治36年日本に留学。ロシアの満州(中国東北部)占領に「警世鐘」などを発表して抗議。38年中国同盟会に参加,機関誌「民報」で清朝打倒の論陣をはる。同年12月8日文部省による清国人留学生取り締まり規則の撤回をもとめ,東京大森海岸で入水(じゅすい)自殺。31歳。湖南省出身。字(あざな)は星台。号は思黄。

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朝日日本歴史人物事典の解説

陳天華

没年:明治38.12.8(1905)
生年:光緒1(1875)
中国読み「チェン・ティエンホワ」。清末中国の革命的アジテーター。湖南省新化県の人。清朝打倒の革命結社である軍国民教育会,華興会,中国同盟会に参加。字は星台,号は過庭,思黄。明治36(1903)年官費留学生として来日,東京の弘文学院に入学した。湖南の同郷である黄興らと革命運動に参加し,帝国主義の侵略に対する警告・啓蒙論文である「猛回頭」「警世鐘」「敬んで湖南人に告ぐ」などを発表した。激情的,流暢な文章で「革命党の大文豪」と呼ばれた。同38年,同盟会の結成に参画し,機関誌『民報』の編集者となり,孫文を助けた。日本で留学生取締規則事件が起こり,それに抗議して東京大森海岸で投身自殺した。<著作>劉晴波・彭国興編校『陳天華集』<参考文献>横山宏章『清末中国の青年群像』

(横山宏章)

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世界大百科事典 第2版の解説

ちんてんか【陳天華 Chén Tiān huá】

1875‐1905
中国,近代の革命家。字は星台または過庭。湖南省新化県の人。日本に留学,1903年,反ロシア義勇隊に参加。《猛回頭》《警世鐘》などのパンフレットで革命思想を宣伝し,清朝を〈洋人之朝廷〉として糾弾した。黄興,宋教仁らと華興会を結成,のち中国同盟会結成にも参加した。05年,日本文部省の清国留学生取締規則に反対し,留学生の奮起を促すため,大森海岸で入水自殺した。【久保田 文次】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陳天華
ちんてんか
(1875―1905)

中国、清(しん)末の革命家、思想家。湖南省新化の人。字(あざな)は星台(せいだい)、思黄(しこう)、号は過庭(かてい)。長沙(ちょうさ)時務学堂に学び、変法運動(戊戌(ぼじゅつ)の変法)に参加し、その後、1903年(明治36)日本に留学。「猛回頭」「警世鐘」など啓蒙(けいもう)的パンフレットを書き、鄒容(すうよう)の「革命軍」と並んで、革命運動の鼓吹に大きな役割を果たした。1904年湖南の革命団体である華興(かこう)会に参加して長沙蜂起(ほうき)に失敗、ふたたび日本に亡命した。一時革命運動の進め方に迷いを生じたが、中国同盟会の結成には積極的役割を果たした。その後まもなく、日本政府が「清国留学生取締規則」を公布、留学生の反対運動が起こったとき、『朝日新聞』に「放縦卑劣」とののしられた留学生に奮起を促すため、大森海岸に投身自殺した。[伊東昭雄]
『島田虔次著『中国革命の先駆者たち』(1965・筑摩書房) ▽島田虔次・小野信爾編『辛亥革命の思想』(1968・筑摩書房) ▽村田雄二郎編『新編 原典中国近代思想史 第3巻――民族と国家』(2010・岩波書店)』

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世界大百科事典内の陳天華の言及

【華興会】より

…中国,清末の民族・民主革命結社。帝政ロシアの東北(旧満州)侵略を引金に,留日学生出身の黄興,陳天華らが,1904年(光緒30)2月,長沙で宋教仁,譚人鳳らとともに結成した。同仇会は,会党哥老会の頭目馬福益の協力を得て作られた別働隊で,日本軍を手本に組織され,数万~10万人を動員したという。…

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