隅谷三喜男(読み)スミヤミキオ

デジタル大辞泉 「隅谷三喜男」の意味・読み・例文・類語

すみや‐みきお〔‐みキを〕【隅谷三喜男】

[1916~2003]経済学者。東京の生まれ。東京帝大を卒業後、満州(中国東北部)の昭和製鋼所で働いた経験をきっかけに労働経済学研究を始める。帰国後は東大教授、信州大教授などを歴任。平成3年(1991)、成田空港建設をめぐる紛争が激化した際には、有識者らと中立団体「隅谷調査団」を結成して問題解決尽力した。

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20世紀日本人名事典 「隅谷三喜男」の解説

隅谷 三喜男
スミヤ ミキオ

昭和・平成期の労働経済学者 東京大学名誉教授;北京大学名誉教授。



生年
大正5(1916)年8月26日

没年
平成15(2003)年2月22日

出生地
東京・麻布谷町

学歴〔年〕
東京帝国大学経済学部経済学科〔昭和16年〕卒

学位〔年〕
経済学博士〔昭和36年〕

主な受賞名〔年〕
東京都名誉都民〔平成12年〕

経歴
満州製鉄勤務、敗戦で帰国。戦後は学職に戻り、東大の大河内一男門下で、労働問題の理論的、実証的研究を通じ、新たな労働経済理論を形成した。昭和23年東京大学経済学部助教授、30年教授、40年経済学部長、東大紛争時には総長特別補佐を務めた。52年退官後、信州大学教授を経て、55〜63年東京女子大学学長、平成元年〜12年恵泉女学園理事長を歴任。他に雇用審議会会長、日本労働協会会長、社会保障制度審議会会長なども兼務傍ら、敬虔なクリスチャンとしても知られ、昭和53年から日本キリスト教海外医療協力会会長を務め、62年には東方学術交流協会を発足、中国人留学生への奨励金制度を始めた。平成2年癌と闘いながらその25年史「アジアの呼び声に応えて」を執筆した。また成田空港問題の解決に向け、国と反対派の調停役として、話し合いによる解決へ尽力。3年に始まった「成田空港問題シンポジウム」と5年に始まった「円卓会議」でともに座長を務めた。学識者グループ・隅谷調査団団長として、国に強制収用申請の取り下げや横風滑走路の建設凍結を求めるなどし、10年同調査団は、“成田空港問題は社会的に解決された”という最終所見を出し、7年間の活動に区切りをつけた。著書に「日本社会とキリスト教」「日本賃労働史論」「片山潜」「労働経済論」「日本石炭産業分析」「韓国の経済」「大学はバベルの塔か」など。五味川純平の「人間の条件」の主人公モデル。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「隅谷三喜男」の解説

隅谷三喜男 すみや-みきお

1916-2003 昭和後期-平成時代の経済学者。
大正5年8月26日生まれ。昭和16年満州(中国東北部)の昭和製鋼所にはいる。30年母校東大の教授。52年信州大教授。55年東京女子大学長。64年恵泉女学園理事長。戦後の労働経済学に道をひらいた。世界平和アピール七人委員会委員。社会保障制度審議会会長,日本キリスト教海外協力会会長などもつとめた。平成3年隅谷調査団を結成,成田空港問題の解決に尽力。平成15年2月22日死去。86歳。東京出身。著作に「日本賃労働史論」など。

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367日誕生日大事典 「隅谷三喜男」の解説

隅谷 三喜男 (すみや みきお)

生年月日:1916年8月26日
昭和時代;平成時代の労働経済学者
2003年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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