デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雲林院文蔵」の解説
雲林院文蔵(初代) うんりんいん-ぶんぞう
近江(おうみ)(滋賀県)信楽(しがらき)の出身で,天文(てんぶん)のころ京都深泥池(みどろがいけ)に窯をきずき,神社でもちいる土器をつくった。9代文蔵から号を宝山(ほうざん)とした。弘治(こうじ)3年6月死去。名は康光。通称は太郎左衛門。姓は「うりんいん」ともよむ。名は文造ともかく。
雲林院文蔵(7代) うんりんいん-ぶんぞう
正保(しょうほ)2年京都清水坂から粟田口(あわたぐち)にうつり,窯をひらく。以後,代々屋号を茶碗屋とし,大名家などの御用をつとめた。万治(まんじ)3年12月死去。
雲林院文蔵(4代) うんりんいん-ぶんぞう
天正(てんしょう)のころ京都深泥池(みどろがいけ)から清水坂にうつり,方広寺大仏殿の茶碗などをつくった。文禄(ぶんろく)4年11月死去。名は為宗。通称は安兵衛。
雲林院文蔵(8代) うんりんいん-ぶんぞう
京都粟田(あわた)焼。徳川将軍家の茶器を製作。当代より毎年の恒例となった。天和(てんな)3年3月死去。通称は九右(左)衛門。屋号は茶碗屋。