東大路通松原より清水寺に至る間の坂を清水坂という。「清水寺坂」(「皇帝紀抄」元仁元年三月二五日条)ともよばれた。この地はもと清水岡と称したが(坊目誌)、清水寺創建で参詣路が開け、洛中から清水寺へ至る最短の道となり、また山科へ抜けて東海道に合する近道として、交通の要地となった。この坂には宿が形成され、また往来の参詣人たちに物を乞う流亡の民や、
史料上は「御堂関白記」長和二年(一〇一三)二月一八日条に「亥時許、検非違使
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市東山区内の地名で,東大路通松原から東へ,清水寺の前にいたる坂道の参道をいう。〈清水〉の地名は音羽滝(清水寺境内)の清水にちなんで生まれたとも伝えられ,このあたりは古くには〈清水岡〉と呼ばれていたらしい。現在の清水寺門前の清水1丁目から5丁目までの街区を中心に,東大路通を西限として,八坂以南,渋谷・鳥辺野以北をその範囲とする高地である。当坂は鎌倉時代前期の例では〈清水寺坂〉とも呼ばれていた。平安時代初期の延暦年間(782-806)に清水寺が創建されて以来,人々の信仰を集めたので,この坂も洛中からの参詣路として,やや南方にある五条坂や,北方の八坂方面から当坂に通じる三年坂(一名は産寧坂(さんねいざか))とともに,しだいににぎわうようになった。また,当坂は洛中より渋谷越(ごえ)で洛東の山科に通じ,それより南方の醍醐・宇治・奈良方面へ行く道筋につながり,あるいは北方の東海道にも合流する便利な路線に位置していたので,清水寺の門前一帯を中心として早くから交通の要衝となっていたらしく,おおよそ10世紀末ごろから11世紀にかけての時期には,すでに運輸を生業としていた車借(しやしやく)や,乞食(こつじき)や,坂非人(さかのひにん)たちが相当数ここに集住して,いわゆる宿(しゆく)を形成していたと推察されている。
平安時代の最末期より南北朝時代にかけて,当坂周辺の人口は目だって増えたようであるが,その多くは,やはり車借,乞食,坂非人たちであったらしい。1179年(治承3)にこの車借たちと祇園大衆とが闘争して,清水坂一帯が焼打ちにあったことや,1224年(元仁1)と44年(寛元2)の2度にわたって清水坂非人と大和の奈良坂非人とが各地の宿々の権益をめぐって,この坂を舞台に集団武闘をくりひろげ,大さわぎになったことなどは,中世史上に名高い。南北朝時代には〈坂ノ籠(ろう)〉と通称された牢獄が当坂に設置されていて,坂非人とともに〈獄舎囚人〉に対しても施行(せぎよう)が行われた。室町時代初期,1426年(応永33)の記録(《北野天満宮史料》)によると,当時洛中洛外あわせて総数347軒あった酒屋のうち17軒が当坂に集中していたのがわかる。1441年(嘉吉1)の嘉吉の乱の徳政一揆蜂起のときには,一揆勢と室町幕府の京極氏の軍隊が当坂で戦い,一揆勢に10人,京極氏の側に50人の負傷者を出したあと,一揆勢は将軍塚,六波羅,阿弥陀峰,東福寺などとともに清水坂を東山沿いの一大拠点とし,洛中の酒屋,土倉,寺社などを奇襲した。応仁の乱中の1468年(応仁2)には,西軍が清水寺に陣を構えて東軍と戦火をまじえたこともあり,乱中に清水寺と清水坂界隈の人家は灰燼(かいじん)に帰したとみられる。
坂一帯の復興がなり,以前にもまして門前町としてにぎわうようになったのは江戸時代に入ってからで,茶屋や土産物屋,それに清水焼(京焼)の窯元が年をおって増加し,また私娼が路傍で客の袖を引くところにもなっていた。なお,清水焼のほか,清水坂で製造販売されていた名物には,寛永年間(1624-44)にすでに聞こえていた清水坂の炙餅(やきもち)(焼餅),元禄年間(1688-1704)に売り出されたという清水紙子(かみこ)(紙製の衣類),貞享年間(1684-88)にお目みえしたらしい清水団子などがあった。
執筆者:横井 清
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…本堂舞台からの都の俯瞰(ふかん)もまた壮観で,東国からの旅人は,山科から東山を越えてまず当寺に参り,都を眺めて坂を下り五条大橋から京都に入ることが多かった。参道である五条坂と清水坂には平安時代から門前町が発達した。とくに近世になると,この二つの坂道には茶屋と土産物店が並んで遊興地になった。…
… 古代末期から中世をつうじて,奈良や京都を中心とした地方では,主要な街道の坂道に相当数の貧窮民・流浪民が集住し,荘園領主(大寺社)の管下に統轄され,〈坂者(さかのもの)〉とか〈坂非人(さかのひにん)〉などと呼ばれながら雑業・雑芸に従事していたことが知られている。奈良坂や京都清水坂(きよみずざか)はその好例といえる。戦国期の大名領国制では,山地が他大名の領国との境界をなすことが多く,甲斐国の例では,国外への追放処分に付することを〈坂を越さす〉と称していた(《甲陽軍鑑》)。…
※「清水坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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