日本歴史地名大系 「青柳河岸」の解説
青柳河岸
あおやぎがし
富士川舟運における甲州三河岸の一つ。富士川の右岸にあり、
青柳河岸
あおやぎかし
江戸湾に面して置かれた湊。年貢米の津出湊で、青柳村浦(享保六年「町田村明細帳」千葉家文書)などとみえる。寛政九年(一七九七)当時は五大力船四艘で、地引網運上永二貫文を納入、天保一四年(一八四三)には同船一艘で、船役永一貫文を納めていた(慶応大学蔵文書)。文政一二年(一八二九)江戸大火後の復旧で瓦の需要が増大、五大力船では賄いきれなかったらしく、当村の押送船が瓦一連を運漕したところ五大力船持から支障の申立てがあり、同船持仲間の取決めに従うことなどを約束している(同文書)。弘化四年(一八四七)青柳の船主が佐貫藩の廻米一〇俵、幕府領の渡米一三九俵のほか三河西大平藩領と旗本酒井氏の年貢米を五大力船に積込んだが強風で出航を見合せていたところ、大風雨のため積直しをしたため他領米が混じるなど荷に混乱が生じ、その処理方に困惑している(同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報