日本歴史地名大系 「韮山城跡」の解説
韮山城跡
にらやまじようあと
田方平野の中央、
永正元年(一五〇四)九月、北条早雲・今川氏親軍が扇谷上杉氏加勢のため武蔵国に出陣し勝利したが、氏親は駿河国への帰路「韮山」に二、三日逗留した(宗長日記)。「今川家譜」はこのとき氏親は「韮山ノ城」で休息したと記す。これ以降、史料上の韮山はほとんど韮山城のことをさしているとみられる。築城の時期は明応七年(一四九八)足利茶々丸を破った早雲が、茶々丸の居館堀越御所が軍事的拠点にふさわしくないとみて、近くの山に築城したとされる(静岡県史)。天文一九年(一五五〇)四月一日北条氏は伊豆国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報