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項英 こうえいXiang Ying

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

項英
こうえい
Xiang Ying

[生]光緒24(1898).湖北,武昌
[没]1941.3.13. 安徽
中国の軍人。 1922年中国共産党に入党。湖北省,上海市の各総工会秘書を経て,31年中華ソビエト共和国政府成立のときには,副主席兼労働人民委員。 34年中央軍事委員兼第8軍長。同年共産党軍が長征を開始したあと,福建,広東,江西省境地区に残って遊撃戦を続け,37年8月国民革命軍第八路軍 (略称八路軍) に続いて国民革命軍新編第四軍 (略称新四軍) が再編されたときには葉挺軍長のもとで副軍長。 41年1月新四軍が安徽省南部の茂林地区で国民党軍8万の包囲を受け激戦ののちほとんど殲滅された皖南事変で,葉挺は逮捕,項英は重傷を負い死亡した。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうえい【項英 Xiàng Yīng】

1898‐1941
中国共産党の幹部。湖北省武昌の人。工員出身で労働運動に従事。1931年初め中共政治局員として上海から瑞金に入り,ソビエト区中央局書記となる。紅軍の長征にあたっては,中央軍区政治委員として残留紅軍の最高責任者となる。37年国共合作で残留紅軍が新四軍に改編されると副軍長となり,新四軍の実権を握り,王明(陳紹禹)の統一戦線路線を支持して,毛沢東と対立したが,41年1月皖南(かんなん)事変で新四軍司令部が安徽省南部で国府軍に包囲攻撃されたさい戦死した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

項英
こうえい / シアンイン
(1898/1899―1941)

中国共産党の指導者。字(あざな)は徳竜。湖北(こほく)省黄陂(こうひ)県の人。労働者出身。ロシア革命と五・四運動の影響を受けて労働運動に参加した。1922年中国共産党に入党。1925年中華全国総工会執行委員。1928年モスクワで開かれた中国共産党六全大会に参加。中央執行委員、政治委員に選出された。1929年全国総工会議長。1930年江西ソビエト区に入り、1931年中華ソビエト共和国臨時政府の副主席兼労働人民委員に選ばれた。1934年紅軍の長征に際して、退路擁護のため陳毅(ちんき)とともに旧ソビエト区に残留。1938年1月、新編第四軍の正式な創設にあたり、その副軍長兼政治委員となった。1941年1月皖南(かんなん)事件(新四軍事件)で戦死した。[石島紀之]

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世界大百科事典内の項英の言及

【新四軍】より

…4ヵ支隊。軍長葉挺,副軍長項英)とした。国共関係が悪化すると,41年1月新四軍司令部は安徽省南部で国民政府軍に包囲され,9000人が全滅,葉挺は捕虜となり項英は戦死した(皖南事変)。…

※「項英」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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