日本大百科全書(ニッポニカ) 「項英」の意味・わかりやすい解説
項英
こうえい / シアンイン
(1898/1899―1941)
中国共産党の指導者。字(あざな)は徳竜。湖北(こほく)省黄陂(こうひ)県の人。労働者出身。ロシア革命と五・四運動の影響を受けて労働運動に参加した。1922年中国共産党に入党。1925年中華全国総工会執行委員。1928年モスクワで開かれた中国共産党六全大会に参加。中央執行委員、政治委員に選出された。1929年全国総工会議長。1930年江西ソビエト区に入り、1931年中華ソビエト共和国臨時政府の副主席兼労働人民委員に選ばれた。1934年紅軍の長征に際して、退路擁護のため陳毅(ちんき)とともに旧ソビエト区に残留。1938年1月、新編第四軍の正式な創設にあたり、その副軍長兼政治委員となった。1941年1月皖南(かんなん)事件(新四軍事件)で戦死した。
[石島紀之]