領事が任地国内に居住する自国民にもつ裁判権。実際には領事以外の裁判官や外交官が裁判したり,関係国が裁判官を出しあって設けた混合裁判所で裁判することもあった。この場合,居住国の法律の適用や裁判権が排除されるため治外法権とも呼ばれた。イスラム国家では法と宗教が密着し,異教徒である外国人は法の適用をうける資格がないとされたため,初めキリスト教国がイスラム国家に住む自国民を,領事が本国法に従って裁判したものであった。西洋列強の東洋進出にともない,自国民の生命・財産を居住国の未開な法にゆだねては危険であるとし,自国民がそれらの国の行政権や裁判権に服従しない特権として獲得した。そこで領事裁判権は国家主権を列強に侵害された半植民地の象徴となり,トルコ,イラン,エチオピア,タイ,中国,日本,エジプト,チュニジア,アルジェリア,モロッコおよびトルコ治下のブルガリア,セルビア,ギリシアに設けられた。日本は1858年(安政5)に日米修好通商条約でアメリカ合衆国に認めたのを最初に16ヵ国に許容した。1882年から廃止交渉をはじめ,苦心のすえ99年にようやく回収した。その他の国ではトルコが1923年,イランが1928年に廃止,中国では1943年にイギリス,アメリカが廃止に同意し,他の諸国もそれに従った。エジプトで1949年廃止されたのを最後に領事裁判権は地上から姿を消し全く過去のものとなった。
→条約改正 →治外法権
執筆者:藤村 道生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
領事が在任国に在住する自国民を,在任国の法権に服させず,本国法にもとづいて裁判する権利。ヨーロッパ商人の中近東などでの領事選任による自治に起源。キリスト教国民がイスラム国家のオスマン帝国から恩恵的に得た治外法権に由来し,ペルシア・中国・タイなどが欧米諸国と結んだ不平等条約についで,日本では1854年(安政元)日米和親条約付録を萌芽とし,安政五カ国条約で民事・刑事とも片務的に規定,居留地自治が成立した。実際の裁判判決が不公正でも上告は海外のため困難であった。条約改正交渉では82年(明治15)内地開放の条件に法権服従を提示,94年イギリスなどとの新条約で領事裁判はなくなり,99年実施により法権を回復。国際社会においては1949年のエジプトを最後に消滅した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
領事が、駐在国の自国民に対し、本国法に従って裁判を行う権利。中世の領事は裁判権を有したが、近代国家の成立により領域主権観念が確立し、このような裁判権は領域主権の侵害と考えられ消滅した。しかし、イスラム教国トルコはその法思想により領事裁判権を認めた。ヨーロッパ諸国は、資本主義的法制度の確立していないアジア諸国に領事裁判権を一方的に認めさせる不平等条約を締結した。日本も1855年に双務的ではあるがロシアにこの裁判権を認めたのち、ヨーロッパ諸国に一方的にこれを認め、条約改正により廃止されるまで存続した。この制度は、現在の国際社会には存在しない。
[佐分晴夫]
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…この当時,総領事館,領事館,貿易事務館は併せて19ヵ所にすぎなかったため,定員も総領事,領事,貿易事務官を併せて19名,領事官補の定員は15名であった。
[領事館警察]
1880年(明治13),日本は朝鮮で領事裁判権を行使することになったため,釜山領事館に外務省警察官を派遣したことが領事館警察の始まりである。84年には清国でも領事裁判権を行使するに及び,清国の領事館にも配置した。…
※「領事裁判権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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