日本大百科全書(ニッポニカ) 「額田今足」の意味・わかりやすい解説
額田今足
ぬかたのいまたり
(生没年未詳)
平安前期の法律学者。822年(弘仁13)外従五位下(げじゅごいのげ)に昇叙。時に明法(みょうぼう)博士であった。826年(天長3)まで姓は額田国造(くにのみやつこ)、829年従五位下に叙され、このときには額田宿禰(すくね)を称している。826年の官符によると今足は、律令条文は簡略ゆえ先学の説によらなければ理解が通じないが、諸説が異なって混乱が生じているので「令律問答私記」を撰んで正しい解釈を示すことを上申した。これは833年『令義解(りょうのぎげ)』として結実したが、完成以前に死去したようである。今足の勘文(かんもん)が『政事要略』『法曹類林(ほっそうるいりん)』などにみえ、『令集解(りょうのしゅうげ)』の「額」説は今足の私記とみなされている。
[柴田博子]
『新野直吉著「額田国造今足をめぐって」(『日本歴史260』)』▽『所功著「『令義解』撰者伝」(『史正 10』)』