顕智(読み)けんち

改訂新版 世界大百科事典 「顕智」の意味・わかりやすい解説

顕智 (けんち)

鎌倉後期の浄土真宗高田派の僧。生没年不詳。幼時に富士山の天池の辺で見つけられたという奇譚を伝えるが,出自などは明らかでない。比叡山の東塔で覚賢師事し,賢順と称した。そののち浄土真宗の祖親鸞東国にいたころ,その弟子で下野高田の専修寺の真仏について浄土の義を習い,また親鸞からも面授を受けて顕智と改め,師が帰洛したのちも上洛して徳化に浴し,奥州などにも教化したという。1258年(正嘉2)真仏の隠遁によって,専修寺の3世となった。親鸞の滅後京都大谷の廟堂の建立について功があり,花園天皇の命で大僧都に任じ,法印に叙され,天台霊光院門跡にも補されたのは,その学才のゆえである。1310年(延慶3)専修寺の金堂に入って礼拝し,西に向かって去り,行方不知になったという。一説にそのとき85歳であったともされている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「顕智」の解説

顕智 けんち

1226-1310 鎌倉時代の僧。
嘉禄(かろく)2年生まれ。浄土真宗。比叡(ひえい)山で10年修行。のち下野(しもつけ)(栃木県)高田の専修(せんじゅ)寺で親鸞(しんらん)の弟子の真仏にまなぶ。ついで親鸞に師事,東国などで布教につとめる。正嘉(しょうか)2年真仏の跡をつぎ,専修寺3世となる。親鸞の没後,覚信尼らと京都の大谷廟堂造営につくした。延慶(えんきょう)3年7月4日死去。85歳。法名ははじめ賢順。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

普及版 字通 「顕智」の読み・字形・画数・意味

【顕智】けんち

智をあらわす。

字通「顕」の項目を見る

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