風土記の丘(読み)ふどきのおか

改訂新版 世界大百科事典 「風土記の丘」の意味・わかりやすい解説

風土記の丘 (ふどきのおか)

1966年から文化庁が実施していた広域的史跡保存整備事業。設置要項によれば,〈各地方における伝統ある歴史的・風土特性をあらわす古墳城跡などの遺跡等が多く存在する地域の広域保存と環境整備を図り,あわせてこの地域に地方文化の所産としての歴史資料,考古資料,民俗資料を収蔵,展示するための資料館の設置等を行い,もって,これらの遺跡および資料等の一体的な保存および普及活用を図ることを目的とする〉とある。史跡整備と資料館の二本立てで遺跡と遺物をともに公開しようとするものである。古代の地誌《風土記》にちなんで,各都道府県に1ヵ所という設定で,事業主体は各都道府県教育委員会。実施面では,国指定史跡の土地公有化と環境整備,都道府県立歴史民俗資料館や埋蔵文化財センターの設置,重要文化財建造物の移築保存などが文化庁の補助事業として組み込まれている。1996年までに,西都原さいとばる)風土記の丘(宮崎県西都市),さきたま風土記の丘(埼玉県行田市),紀伊風土記の丘(和歌山市),近江風土記の丘(滋賀県近江八幡市の旧安土町),立山風土記の丘(富山県立山町),吉備路風土記の丘(岡山市,総社市),八雲立つ風土記の丘(島根県松江市),房総風土記の丘(現,房総のむら。千葉県栄町),みよし風土記の丘(広島県三次市),宇佐風土記の丘(大分県宇佐市),近つ飛鳥風土記の丘(大阪府河南町,太子町),肥後古代の森(熊本県山鹿市,和水町),甲斐風土記の丘(山梨県甲府市)が一般公開され,事業は終了している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「風土記の丘」の意味・わかりやすい解説

風土記の丘
ふどきのおか

古墳や城跡(すべて国指定史跡)などその地域の歴史や風土の特性をよく表す遺跡が多くある地域を広域にわたって指定して、保存と環境整備をし、さらに資料館を設けてその地域の歴史、考古、民俗等の資料を収蔵・展示して、遺跡や資料の一体的な保存と普及活用を図るために設けられた遺跡地域をいう。いま設けられているものには、西都原(さいとばる)(宮崎)、さきたま(埼玉)、紀伊(和歌山)、近江(おうみ)(滋賀)、立山(たてやま)(富山)、吉備路(きびじ)(岡山)、八雲(やくも)立つ(島根)、房総(千葉)、みよし(広島)、宇佐(大分)などがあり、近江(特別史跡安土(あづち)城跡と古墳群)と立山(立山信仰の中心地)のほかはすべて古墳群の整備が中心となっている。これらは遺跡の所在する都道府県が設けて、それぞれの教育委員会が管理にあたっている。風土記の丘事業は1966年(昭和41)に始められたが、60年代後半から急進した日本経済の高度成長に伴う国土開発による遺跡や歴史的景観の破壊防止をねらったものであった。その用地には、古墳・城跡などの遺跡のある自然環境が保たれている地域があてられ、16.5万平方メートル(5万坪)以上が公有地化して確保されている。核となる遺跡は正確に修復され、その環境にはその地方特有の風土が表されるように考えられ、歩道標識、説明板を設け、植栽も施す。資料館の規模や構造、建築意匠は、収蔵展示物の内容や周囲の風致や景観にマッチするように考えられ、その地方の歴史や風土色が表れている民家も移築するようにしている。

[浅香幸雄]

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世界大百科事典(旧版)内の風土記の丘の言及

【西都原古墳群】より

…なお唯一の横穴式石室墳として,円墳の鬼窟屋(おにのいわや)古墳がある。当古墳群は5世紀および6世紀の大古墳群として,1952年特別史跡に,また69年特別史跡公園〈風土記の丘〉第1号に指定された。【川西 宏幸】。…

※「風土記の丘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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