風間丈吉(読み)かざまじょうきち

改訂新版 世界大百科事典 「風間丈吉」の意味・わかりやすい解説

風間丈吉 (かざまじょうきち)
生没年:1902-68(明治35-昭和43)

昭和期の社会運動家。中農の四男として新潟県で出生。高等小学校卒業後に上京,金属労働者となり,友愛会に加入。1925年秋から5年間,モスクワの東方勤労者共産主義大学(クートベ)に留学,高橋貞樹らの薫陶をうけ,後に特高スパイになったと推定される飯塚盈延とも親交。30年夏のプロフィンテルン第5回大会出席後に帰国,岩田義道,野坂参三と共産党指導部再建をはかる。〈31年テーゼ〉(別称,政治テーゼ)を起草,野坂をモスクワに派遣する。飯塚のスパイ挑発活動を許し,自身も32年10月検挙。高橋に追随して獄中転向。第2次世界大戦後佐野学らと労農前衛党を結成し,書記長となる。佐野の死後鍋山貞親の世界民主研究所に入り,反共活動をした。
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20世紀日本人名事典 「風間丈吉」の解説

風間 丈吉
カザマ ジョウキチ

昭和期の社会運動家



生年
明治35(1902)年2月25日

没年
昭和43(1968)年5月24日

出生地
新潟県三島郡

別名
別名=徳川

学歴〔年〕
高小卒

経歴
高小卒業後上京して碌々商会に入社。大正7年頃友愛会東京鉄工組合に入り社会主義を学ぶ。9年碌々商会を解雇され、工場を転々とするが、関東鉄工組合の組合員として活躍する。14年ソ連に渡ってクートベ(東洋勤労者共産主義大学)で学び、昭和5年帰国して日本共産党中央部を構成して党再建に尽力し、6年中央委員会委員長になる。7年検挙され、8年転向し、15年出獄する。戦後は鍋山貞親の世界民主研究所に入り、反共活動に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「風間丈吉」の解説

風間丈吉 かざま-じょうきち

1902-1968 昭和時代の社会運動家。
明治35年2月25日生まれ。モスクワの東洋勤労者共産主義大学にまなぶ。昭和6年共産党中央委員長となり,政治テーゼ草案を起草。翌年検挙され転向。戦後,労農前衛党に参加。世界民主研究所事務局長となり,反共活動をおこなった。昭和43年5月24日死去。66歳。新潟県出身。著作に「モスコー共産大学の思い出」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「風間丈吉」の解説

風間 丈吉 (かざま じょうきち)

生年月日:1902年2月25日
昭和時代の社会運動家
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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