鍋山貞親(読み)ナベヤマ サダチカ

20世紀日本人名事典 「鍋山貞親」の解説

鍋山 貞親
ナベヤマ サダチカ

大正・昭和期の社会主義運動家,政治評論家 世界民主研究所代表理事;元・日本共産党指導者。



生年
明治34(1901)年9月1日

没年
昭和54(1979)年8月18日

出生地
大阪府東成郡鯰江村(現・大阪市城東区)

学歴〔年〕
小学校〔大正3年〕卒

経歴
大阪でメリヤス職工などをし、社会主義運動に参加。評議会教育部長をつとめ、大正11年日本共産党入党。昭和2年モスクワのコミンテルンに派遣され、帰国後党中央常任委員に。4年4.16事件で検挙され、8年獄中佐野学と共同転向声明を発表、大量転向のきっかけをつくる。15年皇紀2600年恩赦出獄。20年北京に移り、そこで敗戦を迎えた。戦後、世界民主研究所を設立し反共理論家として活躍。著書社会民主主義との闘争」「左翼労働組合と右翼との闘争」「私は共産党をすてた」「転向十五年」(共著)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鍋山貞親」の解説

鍋山 貞親
ナベヤマ サダチカ


肩書
元・日本共産党指導者,世界民主研究所代表理事

生年月日
明治34年9月1日

出生地
大阪府東成郡鯰江村(現・大阪市城東区)

学歴
小学校〔大正3年〕卒

経歴
大阪でメリヤス職工などをし、社会主義運動に参加。評議会教育部長をつとめ、大正11年日本共産党入党。昭和2年モスクワのコミンテルンに派遣され、帰国後党中央常任委員に。4年4.16事件で検挙され、8年獄中佐野学と共同転向声明を発表、大量転向のきっかけをつくる。15年皇紀2600年恩赦で出獄。20年北京に移り、そこで敗戦を迎えた。戦後、世界民主研究所を設立し反共理論家として活躍。著書「社会民主主義との闘争」「左翼労働組合と右翼との闘争」「私は共産党をすてた」「転向十五年」(共著)など。

没年月日
昭和54年8月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

百科事典マイペディア 「鍋山貞親」の意味・わかりやすい解説

鍋山貞親【なべやまさだちか】

社会運動家。福岡県出身。友愛会などの労働運動を経て1922年日本共産党に入党,日本労働総同盟大阪連合会委員,1925年日本労働組合評議会結成後は中央委員・教育部長を歴任し,日本楽器争議を指導するなど左派の指導者として活動。1929年の四・一六事件で検挙され1932年無期懲役判決を受け,1933年転向声明。1940年恩赦で出獄後北京で終戦を迎え,1946年世界民主研究所を設立し,反共理論を展開した。

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改訂新版 世界大百科事典 「鍋山貞親」の意味・わかりやすい解説

鍋山貞親 (なべやまさだちか)
生没年:1901-79(明治34-昭和54)

昭和期の社会運動家。大阪で生まれる。父の死亡で8歳からメリヤス工場,電気会社,砲兵工厰等で働いた。この間友愛会に加入し,荒畑寒村に学んだ。1922年共産党に入党,総同盟を経て25年評議会中央委員・教育部長となる。26年入ソし,帰国後,党組合部長に任命された。28年の三・一五事件では検挙を逃れ,党指導部の再建活動をした。29年四・一六事件で検挙され,無期懲役となる。33年佐野学とともに共同転向声明を発表,40年出獄。戦後は世界民主研究所を創設,反共運動を指導した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「鍋山貞親」の解説

鍋山貞親
なべやまさだちか

1901.9.1~79.8.18

昭和期の社会運動家。福岡県出身。小学校卒。職工となり,労働運動に開眼,友愛会から荒畑寒村のL・L会(労働運動研究会)に加入。結党まもない共産党に入党,評議会中央委員となり,日本楽器の争議を指導。27年テーゼ作成に参加,党中央委員として活躍中,4・16事件で逮捕。無期懲役の判決をうけたが,佐野学と転向声明を発表,内外に多大の影響を与え,1940年(昭和15)恩赦で出獄。妻と中国に渡り,敗戦を迎える。戦後世界民主研究所を設立,反共運動を推進。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鍋山貞親」の解説

鍋山貞親 なべやま-さだちか

1901-1979 大正-昭和時代の社会運動家。
明治34年9月1日生まれ。荒畑寒村にまなぶ。大正11年共産党にはいり,15年中央委員となる。昭和2年「二七年テーゼ」の作成にくわわる。4年検挙され,8年獄中で佐野学とともに共同転向声明を発表,のちの大量転向のきっかけとなった。戦後,世界民主研究所を設立。昭和54年8月18日死去。77歳。大阪出身。著作に「私は共産党をすてた」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鍋山貞親」の解説

鍋山 貞親 (なべやま さだちか)

生年月日:1901年9月1日
大正時代;昭和時代の社会主義運動家;政治評論家
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鍋山貞親の言及

【赤旗事件】より

…京都赤旗事件ともいう。高山の短期志願兵(1年志願兵)の満期退営に際し,出迎えに行った鍋山貞親ら有志50余名は,〈祝高山義三君出獄〉などと書かれた赤旗数本を押し立て,それを阻止しようとした警官と衝突した。その場は一応収拾したが,同日夕方警察は関係者を逮捕し,止め役の荒畑寒村をはじめ,鍋山,三野啓逸ら7名が公務執行妨害,傷害,治安警察法違反で起訴され,2~6月の禁錮に処された。…

【佐野学】より

…翌年上海で逮捕され,共産党の中央統一公判では裁判闘争を指導した。33年鍋山貞親と共同で天皇制下の一国社会主義を主張する転向声明を発表し,センセーションをまきおこした。敗戦後46年早大に復帰,一方,日本政治経済研究所を創設し,反共的な一国社会主義の運動をつづけた。…

【転向】より

…広くは,ある個人の信念・行動が圧迫強制によって方向転換することを指すが,一般には,共産主義思想を放棄すること。その個別的事例はしばしばみられるところであるが,歴史的事件としての転向は,1933年6月,当局に拘束されていた日本共産党幹部佐野学と鍋山貞親が,コミンテルンの方針を拒否し,民族主義と天皇制に立脚する〈一国社会主義〉の建設を説く〈獄中からの転向声明〉を発するに及んで,多くの共産党員が引き続き集団的に転向した事例を指す。この事件は当時の共産主義運動にきわめて大きな打撃を与え,社会的にも反響を呼んだ。…

※「鍋山貞親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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