飛来一閑(読み)ヒライイッカン

デジタル大辞泉 「飛来一閑」の意味・読み・例文・類語

ひらい‐いっかん【飛来一閑】

[1578~1657]江戸初期の漆工みんの人で、寛永年間(1624~1644)日本帰化一閑張いっかんばり創始し、子孫も代々その業を継いだ。

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精選版 日本国語大辞典 「飛来一閑」の意味・読み・例文・類語

ひらい‐いっかん【飛来一閑】

  1. いっかん(一閑)

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百科事典マイペディア 「飛来一閑」の意味・わかりやすい解説

飛来一閑【ひらいいっかん】

江戸時代の漆工。中国人で,寛永年間に帰化,京都に住して飛来氏を名乗る。木型に糊(のり)や漆で紙をはり重ね,木型を抜いてから漆を塗る一閑張を創始。茶をたしなんで千宗旦交友があり,晩年は大徳寺に入り,禅を修めた。
→関連項目漆器

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朝日日本歴史人物事典 「飛来一閑」の解説

飛来一閑

没年:明暦3(1657)
生年:万暦6(1578)
江戸前期の漆工。寛永年間(1624~44)明から日本に帰化。姓は「ひらい」ともいう。西湖飛来峰下の出身であったので飛来を姓とした。京都に住んで朝雪斎,金剛山人,蝶々子の号がある。器胎に糊で紙を貼り重ねて漆を塗った「一閑張」は彼の創始といわれ,棗や香合などの茶道具を作った。一閑張は和紙風合の残る膚に柔らかな姿など雅味が豊かで,千宗旦がその作を賞したために塗師として有名になり千家十職のひとりとなった。以後歴代で技法が継承され現代に至っている。

(小池富雄)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飛来一閑」の意味・わかりやすい解説

飛来一閑
ひらいいっかん

[生]万暦6(1578).杭州,飛来峰
[没]明暦3(1657).11. 京都
江戸時代前期の塗師。中国,明の人で寛永年間 (1624~44) に帰化。飛来峰の生れのため飛来を氏とした。朝雪斎,金剛山人,蝶々子と号した。原型に紙を漆や糊で張り重ね,乾燥後型抜きした各種の容器類を制作し,千宗旦に見出されてから一閑張として有名になった。以後,代々その技法を伝えて現在 14代に及ぶ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飛来一閑」の解説

飛来一閑 ひらい-いっかん

1578-1657 江戸時代前期の漆工。
万暦6年生まれ。明(みん)(中国)の人。寛永元年渡来し,京都にすみ,西湖飛来峰下の出身であることから飛来を名のった。紙を素地にした漆器,一閑張りをはじめる。茶道具として千宗旦に愛用されて一閑の名も世に知られた。明暦3年11月20日死去。80歳。号は朝雪斎,金剛山人,蝶々子。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「飛来一閑」の意味・わかりやすい解説

飛来一閑
ひらいいっかん

一閑張

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