日本歴史地名大系 「養父村」の解説 養父村やぶむら 大阪府:枚方市養父村[現在地名]枚方市養父元(やぶもと)町・養父西(やぶにし)町・養父丘(やぶがおか)一―二丁目・招提平野(しようだいひらの)町・招提元(しようだいもと)町一丁目・宇山東(うやまひがし)町・宇山(うやま)町・牧野下島(まきのしもじま)町・牧野北(まきのきた)町・上島(かみじま)町交野(かたの)郡に属し、淀川左岸の沖積低地に位置する。北は船橋(ふなはし)村、東は招提村。淀川沿いに京街道が通る。比丘尼塚(びくにづか)古墳(円墳)からは多数の須恵器が出土した。治安三年(一〇二三)一〇月五日付極楽寺陳状(石清水文書)に「一庄家捌箇所 在河内国一所名養父庄」とみえ、山城石清水(いわしみず)八幡宮極楽寺領養父庄があった。永仁五年(一二九七)六月日付善法寺尚清処分帳(同文書)の弥勒寺領のうちに「養父」がみえ、鎌倉時代には同八幡宮弥勒寺領になっていた。 養父村やぶむら 愛知県:宝飯郡一宮町養父村[現在地名]一宮町金沢(かなざわ)吉祥(きつじよう)山と照(てる)山の西麓から豊川に至る地域。「和名抄」所載宝飯郡養父郷(刊本)に相当すると考えられ、近年まで条里制遺構が残されていた。また隣村御薗(みその)村は、「神鳳鈔」に載る泉(いずみ)御園の故地とされるが、定説には至っていない。永禄四年(一五六一)七月二四日の松平元康が野田(のだ)(現新城市)の菅沼定盈に与えた所領宛行状(菅沼家文書)に「養父之郷」とある。 養父村やぶむら 佐賀県:鳥栖市養父村[現在地名]鳥栖市養父町(やぶまち)・布津原町(ふづはらまち)養父扇状地平野に立地し、西限の安良(やすろ)川で佐賀藩山浦(やまうら)村に接する。「肥前風土記」に「養父郡」の名があり、村は「和名抄」記載の養父郷の郡家所在地に比定され、古代・中世には養父庄の中心と推定される。文明一一年(一四七九)、少弐政資は筑紫満門に筑前・筑後・肥前にわたる所領を安堵しているが、その安堵状(大宰府神社文書)の中に<資料は省略されています>とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報