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館山漸之進(読み)たてやまぜんのしん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

館山漸之進
たてやまぜんのしん

[生]弘化2(1845).弘前
[没]1916.2.17. 東京
平曲演奏家・研究家。津軽藩に平曲を興した楠美則徳の曾孫,麻岡検校門下の楠美太素の子。館山源右衛門の養子。父太素,兄楠美晩翠から平曲を学んだ。 1905年邦楽保存の必要を上奏,07年東京音楽学校邦楽調査掛嘱託となった。 10年『平家音楽史』を出版,以後の平曲研究の基を開いた。甥の楠美恩三郎はもと東京音楽学校教授。また,4男館山甲午 (1894~1989) は仙台にあって,数少い平曲伝承者の一人として活躍した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

館山漸之進 たてやま-ぜんのしん

1845-1916 明治-大正時代の官吏,平曲家(平家琵琶(びわ)家)。
弘化(こうか)2年生まれ。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩士楠美太素の子。館山家の養子。青森県で郡長,県会議員をつとめる。麻岡検校(けんぎょう)門の父にまなび,平曲の普及と伝統の保存に尽力。明治40年東京音楽学校(現東京芸大)邦楽調査掛嘱託となる。「平家音楽史」などをのこした。大正5年2月17日死去。72歳。

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世界大百科事典内の館山漸之進の言及

【平曲】より

… 明治時代になり,新政府が当道を廃止したため,収入の道の途絶えた平曲家たちは鍼灸(しんきゆう)の仕事などに転向することになる。前田流を伝えた津軽藩士の家の出である館山漸之進(ぜんのしん)(1845‐1916)はこうした平曲の衰運を嘆き,明治末年,平曲の保存と平曲家の育成に奔走し,1910年《平家音楽史》を自費出版するなど,平曲保存に力を尽くした。一方,京都に伝えられた波多野流は,最後の検校といわれた藤村性禅(しようぜん)(1853‐1911)の門下に専門家,しろうと合わせて何人かの弟子があったが,第2次世界大戦後,後継者は絶えた。…

※「館山漸之進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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