骨寺村(読み)ほねでらむら

日本歴史地名大系 「骨寺村」の解説

骨寺村
ほねでらむら

一関市の西郊磐井いわい川上流北岸の東流する本寺ほんでら川流域一帯にあった。現厳美げんび下真坂しもまさか要害ようがい沖要害おきようがい駒形こまがた中川なかがわ・本寺などを範囲とする地域に比定される。中世には中尊寺経蔵領で、四至をもち庄園的性格を有したと考えられる。「ほんでらむら」ともいう。

天治三年(一一二六)三月二五日の中尊寺経蔵別当職補任状案(中尊寺文書)に「蓮光往古私領骨寺」とあり、初代の中尊寺経蔵別当自在房蓮光が、往古の私領である骨寺の地域を永代にわたって経蔵に寄進した。蓮光は中尊寺の権威を背景としてこの地の知行をまっとうしようとしたのである。以後中世を通じ経蔵別当に相伝されたとみられる。骨寺村の四至は、「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一〇日条と同月日中原親能奉書(中尊寺文書)によれば、東は鎰懸、南は岩井いわい河、西は山王岩屋、北は峯王堂馬坂を限るとある。奥州合戦の際、源頼朝の軍勢が北上するにつれて、中尊寺領の農民たちは山間部に位置した骨寺村内に逐電籠居していた。経蔵別当の訴えに対し、頼朝から農民たちの本所還住を促す命が出された。建長三年(一二五一)一一月から一二月にかけて中尊寺領の村々の惣検注が行われ、翌年一月にいっせいに注進された(中尊寺宝物手鑑)。骨寺の注進状は伝わらないが宇那禰神田・法霊神田・熊野神田・白山講田・地頭分・首人免などが除田とされたと推定される。この検注は中尊寺惣別当代替りにともなうものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「骨寺村」の意味・わかりやすい解説

骨寺村【ほねでらむら】

陸奥国磐井(いわい)郡にあった平泉中尊寺経蔵領。〈ほんでら〉ともいい,現岩手県一関市西郊の厳美(げんび)町を流れる本寺(ほんでら)川流域にあたる。1126年,初代経蔵別当蓮光が私領を経蔵に寄進して成立。このとき四至(しいし)も確定したとみられ,以後,代々経蔵別当伝領した。1318年の在家11。鎌倉初期の奥州合戦の際,中尊寺領の農民らが骨寺村に逐電籠居したことがあった。南北朝の動乱期には知行が困難になっていた。なお鎌倉末期と南北朝期の村の様子を描いた絵図2枚が残る。

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