在家(読み)ザイケ

デジタル大辞泉 「在家」の意味・読み・例文・類語

ざい‐け【在家】

出家せずに、普通の生活をしながら仏教に帰依すること。また、その人。在俗。⇔出家
いなかの家。ざいか。「在家の育ち」
中世、荘園・公領で、農民と耕地とを一体のものとして賦課の対象としたもの。東国九州に多くみられる。

ざい‐か【在家】

いなかの家。いなか。ざいけ。

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精選版 日本国語大辞典 「在家」の意味・読み・例文・類語

ざい‐け【在家】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「け」は「家」の呉音 )
  2. 出家しないで在俗のまま仏教に帰依すること。また、その家や人。
    1. [初出の実例]「始め在家(ざいけ)の時、五天竺の中に形勝れて端正无限(かぎりな)き女を妻として」(出典:今昔物語集(1120頃か)一)
    2. 「如何なる法か、加様の在家(ざいケ)の者の行ひ奉り、掲焉(けつえん)の利生に預かる事候」(出典:源平盛衰記(14C前)一)
    3. [その他の文献]〔法華経‐安楽行品〕
  3. 民家。在郷の家。田舎の家。ざいか。
    1. [初出の実例]「楯をわりたい松にして在家(ザイケ)に火をぞかけたりける」(出典:高野本平家(13C前)五)
  4. ( 在郷の家、民家から転じて ) 中世、在家役と称される課役を徴収するために定められた単位。住屋のみならず、付属の田畠と農民を含む。関東・東北・九州などの後進地域にその実例が多い。はじめは領主の財産として売買譲渡の対象となるなど隷属性の強い場合もあったが、次第に耕作権などをもとに自立性を強めた。鎌倉末期から南北朝期には階層分化が進んで有力在家(本在家)から分家的な小在家(脇在家(わきざいけ))を分出した。〔石清水田中家文書‐延久四年(1116)九月一五日〕
    1. [初出の実例]「在家一けんのうちのてんはく、ならひのさいけにふみそへ候事」(出典:塵芥集(1536)八二条)

ざい‐か【在家】

  1. 〘 名詞 〙 いなかの家。いなか。ざいけ。

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改訂新版 世界大百科事典 「在家」の意味・わかりやすい解説

在家 (ざいけ)

(1)家にあって,職業をもち,家庭生活を営む人,またはその状態をさす。俗人,在家人,居家(こけ)ともいう。出家に対する語。在家人で三帰・五戒を受けた男女を優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)と称する。出家して十戒を受けたものを沙弥(しやみ)というが,日本では,髪をそるのみで,俗家にあって妻子を養う沙弥があり,このようなものを在家沙弥とも入道ともいう。古代より民間には,半僧半俗の宗教者が多い。
執筆者:(2)平安中期~室町期には,住屋,付属の耕地,農民を含めた,在家役収取の単位を在家とか百姓在家とか称した。律令制的収取体系は租,調,庸,雑徭,出挙(すいこ)等より成るが,律令体制崩壊の過程で変質を遂げ,中世的な収取体系(あるいは荘園制的収取体系)としての年貢,雑公事,夫役の体系に移行する。租や正税出挙利稲の系譜を引く年貢は,田地(または畠地)について段別(地積別)に賦課されたが,調,庸,雑徭の系譜を引く雑公事,夫役の賦課は段別,名(みよう)別,在家別の3通りがあった。平安末期以降中世を通じて,国衙領,荘園の田畠は名田編成を中心として成り立っていたので,多くの賦課が名役として名田にかけられていた。しかし,雑役等を名役に転化できなかったところでは,在家別収取が行われた。

 在家の初見史料は,山城国乙訓郡川原埼の在家に関する1072年(延久4)の太政官符に引く山城国司解であるが,1101年(康和3)の史料では,在家を役家とも称している。34年(長承3)の三条家領淀相模窪領在家の場合,御領の畠7段余で在家は26宇あり,在家役として,地子藁,五月昌蒲,七月瓫供瓜茄子,歳末節料薪などのほか,必要に応じて臨時に鮮物を進上させ,また輿(こし)や船のしたくに連日召し使ったという。12世紀に入ると,国衙,荘園において行われる検注の対象に田,畠,山,野,河原,池などとともに在家が含まれるようになる。これは,平安末期・院政期における権力の再編成と相応ずるもので,人と土地の二元支配を克服して両者を一体として把握しようとする方向の一環であった。

 鎌倉時代以降,在家に関する史料が東国や九州など比較的後進地域とみられる地方に多いが,これらの地方では,農民的土地所有権の成熟度が低いために,在地領主領主名の名主となり,一般農民は名主身分を獲得することができず,領主名の下における在家農民という形で把握されたのであろうという見解がある。この見解によると,在家農民は田地保有権が弱く,領主,名主に対して奴隷的な性格をもつという。これに対して,在家の本質は在家役負担という側面にあり,名主が名役負担者の身分呼称であるのと同様に収取体系上の呼称であり,在家,名主は異名同体であるという見解もある。検注帳上に固定された在家(本在家)に対して,新たに収取の対象とされた在家を脇(わき)在家(新在家)と称するが,本在家-脇在家の関係は本家-分家の関係に比すべきものとの見方もある。また在家支配がまず非農業民に関して出現することから,これを権力による分業,生産活動の掌握・統制に結びつけて意義づけようとする見解もあり,今後の研究がまたれる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「在家」の意味・わかりやすい解説

在家(民屋)
ざいけ

本来は、出家に対して、在俗のまま仏道に入ること、またはその人をさす語であったが、平安中期以後、「民屋」をさす語が新たに登場する。ことに11世紀末以降の中世の荘園(しょうえん)=公領体制下において、住居と宅地、それに付属する園・畠などを在家とよび、それを単位に在家役という課役を徴収した。在家役は、制度的には律令(りつりょう)体制下の人頭制方式の崩壊する過程で、郡司(ぐんじ)などの国衙(こくが)勢力によって創設され、やがて荘園制の収取制度の一つとなる。一方在家そのものの成立の面からみると、律令体制下では経営単位として未成熟であった農民的「イエ」が、この時期一定の家産を形成し、経営体としてようやく自立したことを示しているという説もある。在家は1宇(う)、2宇など「宇」で数えられるが、その形態、規模などは地域や時期によって差異がある。畿内(きない)・近国では平民百姓の経営単位としての家が在家として把握され、それが名(みょう)編成を補完する役割をもっていた。一方、東国・辺境地帯では名編成が十分に進まず、田在家(たざいけ)のような形で在家が収取の基本単位となることも多かった。また、後者の地域では、領主との関係でも隷属性が強く、その規模においても、のちに在家集落を形成するような大規模なものも存在した。したがって、在家の性格についても、その地域差のため隷属性を強調する説と、そうでない説に分かれている。また、都市や都市的場(市場・港町)などでも住居が在家として把握され、夫役(ぶやく)や地子(じし)、そのほか非農業的な生産物などがそれを通して徴収された。時代が下ると、在家は新しい経営単位、脇(わき)在家を分出する。本在家―脇在家の関係はその村落・集団内の身分的位置を示しており、近世以降の本家―分家関係に比する説もある。在家は中世後期にもみられるが、荘園=公領体制が実を失うにしたがってその使用頻度は減少し、「在家一宇」の表現は「家敷一間(やしきいっけん)」などの表現に変わってゆく。

[飯沼賢司]

『永原慶二著『日本封建制成立過程の研究』(1961・岩波書店)』『誉田慶恩著『東国在家の研究』(1977・法政大学出版局)』『豊田武著『豊田武著作集 第7巻』(1983・吉川弘文館)』『戸田芳実著『日本領主制成立史の研究』(1967・岩波書店)』『大山喬平著『日本中世農村史の研究』(1978・岩波書店)』


在家(仏教)
ざいけ

家にあって、自ら生計をたてて世俗生活をなすこと、またその人をいう。パーリ語のガハッタgahaha、サンスクリット語のグリハスタghasthaの訳。居家(きょけ)とも、また在家人、居士(こじ)、世人(せじん)ともいう。出家(しゅっけ)あるいは出家人、僧侶(そうりょ)、道人(どうにん)などに対する語。両者あわせて僧俗、道俗といわれるときの「俗」をさす。自分の生まれた家の苗字(みょうじ)をもち、所属する家庭あるいは一族の構成員として、その義務を果たし、また財産分与などの権利を享受する人が在家者である。在家者が仏教に帰依(きえ)し三帰五戒(さんきごかい)などの戒律を受けると優婆塞(うばそく)(男子信者)・優婆夷(うばい)(女子信者)とよばれ、仏弟子の四衆(また七衆)の一員となる。初期大乗仏教は在家者を中心とした宗教運動であるが、彼らは「善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)」とよばれ、菩薩(ぼさつ)の自覚をもった人々であった。優れた在家菩薩としては維摩居士(ゆいまこじ)や勝鬘夫人(しょうまんぶにん)らがあげられる。

[阿部慈園]

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百科事典マイペディア 「在家」の意味・わかりやすい解説

在家【ざいけ】

(1)出家に対する在俗の人。(2)中世,農民の家屋とそれに付属する園宅地を含めた収取単位。また領主の土地の耕作を中心とする在家役を負担し,領主の財産として譲与・売買された農民。東北,九州などの後進地域に広くみられたが,次第に田地に対する耕作権を強めて独立的な性格をもつようになった。
→関連項目安食荘池田荘奥山荘葛川官省符荘朽木荘荘園(日本)人吉荘骨寺村

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「在家」の意味・わかりやすい解説

在家
ざいけ

(1) 仏教用語 出家に対して,一般の生活を営みながら仏道に帰依する人。男は優婆塞 (うばそく) ,近事 (こんじ) ,女は優婆夷 (うばい) ,近事女 (こんじにょ) といわれる。 (2) 経済用語 もとは住居をさしたが,荘園制の時代には,住居と園地と宅地を含めた収取単位を在家または百姓在家といい,鎌倉時代末期には,在家になかば従属する脇在家 (→脇百姓 ) があったことも知られている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「在家」の解説

在家
ざいけ

(1)出家に対して,世俗の人。(2)中世,住人,家屋,付属する畠地,宅地を一括した在家役の収取単位。10世紀後半から供御人(くごにん)・神人(じにん)などの非農業民を在家として編成することが始まり,12世紀初頭には国衙(こくが)による公郷在家支配が開始された。その後,荘園で百姓名編成が進んだ畿内などでは,公事(くじ)賦課の対象としての在家は副次的な役割をはたすにとどまったが,東国や九州では室町時代にいたるまで在家支配が基本であり,在地領主が売買・譲渡の対象とした在家も存在した。また町場や港津など都市的な場においても在家支配が導入されている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「在家」の解説

在家
ざいけ

②中世,国衙 (こくが) 領・荘園において,在家役収取の対象となった単位
①出家に対し在俗のまま仏道に帰依する者。
もと住居の意であったが,中世では農民・屋敷・田畑を一括して在家として,領主は財産視した。存在形態は時代・地域により多様で,東国や南九州などに多くみられる。

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普及版 字通 「在家」の読み・字形・画数・意味

【在家】ざいか

家居。

字通「在」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の在家の言及

【家】より

…また婚姻を必須の条件としない寺社においても,資産や地位は父子に擬した師資の間に継承され,家的世界がつくられて寺社家と呼ばれたが,構成員である僧侶・神人(じにん)たちは神仏をかかげて平等に結合している面が強く,一般の家のごとき家長支配は貫徹しなかった。さらに農民・商人・職人等は家族的経営体が在家の名で上から把握されたが,直接生産者としての性格上,私産や地位の確立や継承はもっとも不完全であったと考えられる。 身分・階層・分野によって以上のような多様性をもつ家は,成立の歴史にも差異をもっていた。…

【優婆塞・優婆夷】より

…優婆塞(サンスクリットupāsakaの音写。清信士・近事男などと漢訳される)は男性の在家信者,優婆夷(サンスクリットupāsikā,その俗語形uvāyiの音写。漢訳は清信女・近事女など)は女性の在家信者のこと。…

【寺事】より

…装束は宗派によって規定を異にし形態を異にし名称を異にして多岐にわたるが,どの宗派でも,日常的で小規模な法要に比べて臨時の大規模な法要には盛装で出仕するのが一般である。
[寺事と在家の関与]
 寺事は法要が構成の主軸となるから,当然,僧侶または尼僧が中心となって執行される。少なくとも法要は出家が勤修し,在家は関与しないのが原則である。…

【免家】より

…免在家ともいう。在家とは中世の荘園や公領における一種の徴税賦課単位で,農民が屋敷や薗地(えんち)と一体になった形で把握され,夫役・雑公事などの一定の負担を領主・国衙に対して義務づけられていたものと考えられる。…

※「在家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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