高屋敷村
たかやしきむら
[現在地名]浪岡町高屋敷
羽州街道に沿い、北は徳才子村、南は杉沢村と接する。東の山裾に七個の溜池が連なり、村内を六万堰が流れる。通称西山の山際に長者屋敷跡といわれる所があり、遺物も出土し、高屋敷の発祥地と思われる。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「鶴田」がある。杉沢との間にある鶴田が比定され、杉沢の白山神社は鶴田の産土神だったという。
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎郡に高二五二・九石、うち田方二二二・二九石とある。天和四年(一六八四)の書上帳の絵図に家数二七、うち本村屋敷一八、裏屋二、支村屋敷七とある。貞享四年(一六八七)の検地帳に村高七一二・七三石、うち田方六〇町二反九畝一三歩、六三四・三三七石、畑方二五町八反二一歩、八八・三九三石とあり(数字は史料のとおり)、池床一二ヵ所で七町七反一畝、漆木六三本、大日堂と白山堂が記される。
高屋敷村
たかやしきむら
[現在地名]富山市高屋敷
鼬川の東に位置し、富山城下の大泉口から出た立山道が村の西部を通る。北東は中河原村。高屋鋪村とも記される(天保郷帳)。正保郷帳では高二七五石余、田方一八町三反余、新田高一五四石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高四二六石、免四ツ、小物成は野役一二匁、明暦二年(一六五六)・万治元年(一六五八)の新田高二一石があった(三箇国高物成帳)。
高屋敷村
たかやしきむら
[現在地名]下田村高屋敷
五十嵐川中流左岸の台地上にあり、北は滝谷新田村、北西に上大浦村がある。正保国絵図に高屋敷新田とあり、高四〇石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では二一石二斗余・家六戸。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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