国指定史跡ガイド 「高梨氏館跡」の解説
たかなししやかたあと【高梨氏館跡】
長野県中野市小舘にある館跡。県北東部の長野盆地北端から南西に向かう中野扇状地の標高約380mの平地に位置し、15世紀中ごろ~16世紀末の居館跡である。館跡の約1km東側の山地には、標高688mの頂部を中心に郭(くるわ)や空堀が残る鴨ヶ嶺(かもがみね)城跡や鎌ヶ嶺(かまがみね)城跡がある。館跡は東西約130m、南北約100mで、四方に土塁と堀をめぐらせ、北信地方で最大規模を誇る。発掘調査によって門跡1棟、礎石建物跡5棟、掘立柱建物跡7棟、庭園跡が発見された。土塁は幅約10m、高さ1~3m、堀は幅約10m、深さ3mで断面の形はV字状である。方形の館跡の庭園遺構は長野県内唯一のもので、東西約8m、南北約6m、池の水際は岩と河原石、滝口は3個の立石で構成され、河原石を用いた洲浜(すはま)状の遺構も発見された。池の中央にはやや大きめの岩が3個配され、当初は池泉式の庭園だったが、のちに枯山水様式に変えられたと推定される。高梨氏は平安時代末期に始まる頼季流信濃源氏(よりすえりゅうしなのげんじ)の北信地方の有力な武士団で、14世紀末には善光寺周辺を本拠地としていた。その後、15世紀中ごろには中野地方に進出し、以後、越後の上杉氏や長尾氏との関係を強めて一帯に勢力を拡大した。16世紀中ごろに甲斐(かい)武田氏の勢力が北信地方に迫ると、高梨氏も上杉氏を頼って越後に退去し、16世紀末に北信地方が上杉景勝領になると高梨氏も本領の一部を回復した。しかし、1598年(慶長3)に上杉景勝が会津に移封されると高梨氏も会津へ移り、館は廃絶した。高梨氏館跡は北信地方を代表する有力国人領主が本拠地とする大規模な方形館跡で、3段階以上の土塁の変遷過程を示すきわめて重要な城館遺跡であることから、2007年(平成19)に国の史跡に指定された。長野電鉄長野線信州中野駅から徒歩約10分。