日本歴史地名大系 「高瀬石仏」の解説 高瀬石仏たかせせきぶつ 大分県:大分市旧大分町地区高城村高瀬石仏[現在地名]大分市高瀬 高城霊山(りようぜん)(五九六メートル)の北麓、大分川の支流七瀬(ななせ)川の右岸の丘陵の岩壁を利して、高さ一・八二メートル、幅四・三九メートル、奥行一・五二メートルの小規模の石窟内に刻まれた磨崖仏群。所在地は小字伽羅(から)とよばれる。国指定史跡。凝灰岩の龕内奥壁には向かって右から馬頭観音半跏像(像高九五センチ)、如意輪観音半跏像(同一〇二センチ)、胎蔵界大日如来坐像(同一二三センチ)、大威徳明王坐像(同一三二センチ)、深沙大将立像(同一三九センチ)の五像が陽刻される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
国指定史跡ガイド 「高瀬石仏」の解説 たかせせきぶつ【高瀬石仏】 大分県大分市高瀬にある石仏。大分平野の南西に聳える標高596mの霊山(りょうぜん)の北麓、大分川の支流、七瀬川へ延びる小丘陵の東側の凝灰岩層に所在する。平安時代後期の磨崖仏で、石仏は高さ約1.8m、間口4.4m、奥行き1.5mの石窟の奥壁に彫り出された大日如来坐像を中心にした5体の諸像と、窟外の右方の壁面に彫り込まれた小龕(がん)中の三尊像からなる。この石仏諸像の組み合わせは他に類例がない特異な配列となっていることなどから、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。中央の大日如来は、両手肘先を欠損しているが、長方形台座上に結跏趺坐(けっかふざ)した高さ1.23mの丸彫りに近い整った像で、体部には淡黄色の彩色をとどめる。大日如来の向かって右には如意輪(にょいりん)観音、馬頭(ばとう)観音、左に大威徳明王(だいいとくみょうおう)、深沙大将(じんじゃたいしょう)が彫られている。JR日豊本線ほか大分駅から大分バス「下芹」下車、徒歩約10分。 出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報