台湾原住民(中国語圏では、「先住民」は「今は存在しない」という意味があるため、「原住民」が用いられる)の総称。かつては西部平地を含む全島に分布し、固有の文化を保って生活していたが、17世紀以降大陸から入植した漢人に押され、現在は人口も全島の約1.7%、約37万(1996)にすぎない。漢化したものを「熟番(じゅくばん)(蕃)」(または平埔族(へいほぞく))、漢化していないものを「生番(蕃)」と称していたが、日本統治期(1895~1945)後半に「高砂族」、中国に返還後は「高山族(カオシャンツー)」または「山胞(シャンパオ)」と称していた。しかし、「生番」に相当する高砂族に限っても、40%以上が平地に居住しているので、高山族、山胞と「山」の字をつけるのは誤解を生みやすく、現在では「原住民」が通称となっている。また、「生番」は9種族、「平埔族」も9種族余りに分かれ、いずれもマライ・ポリネシア系のインドネシア語派に近い言語を話すが、相互に通じないほどそれぞれが独立しており、その他の文化においても以下に述べるように大きな差異を示しているので、総称としての名を設けるより、台湾原住民、台湾原住諸族と表現するほうが適当であると思われる。
これら原住民のうち、早くから漢化した平埔族を除く9種族は、ヒンドゥー教、仏教、イスラム教など、いわゆる大宗教の影響を最近まで受けておらず、その言語や文化にプロト・マレーの古い形をとどめ、東南アジアでも特異な位置を占めている。以下、その伝統的側面と最近の変容についてみることにしよう。
[末成道男]
アワ、陸稲、サツマイモ、サトイモの焼畑耕作を基調とし、狩猟、漁労も行っていた。南部では穀類よりいも類の比重が大きく、蘭嶼(らんしょ)(紅頭嶼)に住むヤミ族はサトイモを水田栽培している。平常の農作業は女性の仕事で、男子は開墾、収穫のときに手伝うが、普段は防衛、狩猟(ヤミ族では漁労)に従事していた。家畜は、食用にブタ、ニワトリ、猟用にイヌを飼っている。水稲耕作は、アミ族、サイシャット族、プユマ族が19世紀末から漢族より取り入れたが、現在では平地に移住した旧山地諸族も水稲をつくっている。そのため農作業における男子の比重が増し、水牛、黄牛も飼育されている。
[末成道男]
サイシャット族、ブヌン族、タイヤル族の一部が散村であるほかは集村をなしている。アミ族、ヤミ族、プユマ族など平地居住諸族を除いた山地種族の多くは、渓流から離れた標高500~1500メートルの見晴らしのきく小高い山腹に集落を構えている。この定住村落の周囲に、耕地や焼畑休閑中の山林が広がっており、マラリアを仲介するカや敵の襲撃を防ぐ配慮がみられた。日本統治後期の集団移住政策により、また戦後はマラリアも撲滅され、生活の利便のため平地またはその近接地帯に住居を移すものが多くなった。
[末成道男]
タイヤル族、プユマ族、アミ族の村落内部の結合は強く、攻守を共同でする単位ともなっている。タイヤル族は川筋に沿った村が連合し部族的に結合することもあるが、プユマ族、アミ族では村落が一つの政治的独立単位となっている。これに対し、パイワン族は、世襲される首長と平民などという階層があり、首長のもとに数村が統治されている場合もあったが、村落内の結合は強く、まして種族全体に及ぶ政治統合は存在しなかった。アミ族、プユマ族、ツォウ族には年齢階梯(かいてい)組織があり、それが村落結合の要(かなめ)となっていた。アミ族は、男子が14、15歳になると同年齢層の仲間で年齢組を組織し、年齢階梯を下から順に上ってゆく。こうして成人男子全員が、年齢組を通して動員され、村の公の行事に参加する。これに対し、家族、親族などの私的な結合は女子を中心として結ばれている。プユマ、ツォウ両族の年齢階梯組織は攻撃的軍事機能を果たし、少ない人口にもかかわらず、周辺諸族から恐れられていた。
家族は、サイシャット族、ツォウ族、ブヌン族が夫方居住婚による父系拡大家族、アミ族、プユマ族が妻方居住婚による拡大家族で、直系家族のパイワン族、ルカイ族や、核家族のタイヤル族、ヤミ族に比べその規模も大きな差があったが、現在は経済的理由で早めに分裂するので、差は小さくなっている。
パイワン族は初生子(長子)相続制なので、長男相続のルカイ族とともに日本の「家」と類似した家族を形成している。つまり長子または長男が生家に残り、その財産を受け継ぐとともに、弟妹たちは他家へ婚出するか分出する。ただし、日本の本家・分家関係のような永続性はない。パイワン族では長子相続により女子も家を継げるので、長子同士の結婚の場合は双方の家系の併合が行われる。首長のうちには、このタイプの婚姻を代々重ねその領土を拡大していった者もいた。
親族組織も多様である。ブヌン、ツォウ両族は、猟場の権利と結び付いた大・中・小の父系リネージに分かれており、狩猟した肉の共食単位にもなっている。婚姻禁止範囲がこれらの父系集団のほか母方父系集団にも及ぶため、姻戚(いんせき)関係は遠くまで広がっている。サイシャット族は父系であるが、このような分節化をせず、外婚集団である同姓の氏族と比較的近親者からなり共祖祭祀(さいし)を行うリネージとをもつ。中部アミ族は、妻方居住婚を行い母系的な親族集団を有しているが、夫方居住婚が行われた場合、その子は父方の集団に属するので、むしろ選系集団とみなされる。同じく妻方居住婚の多いプユマ族も選系集団をもっているが、この帰属は居住とは関係なく、祖霊の意志で決まる。つまり、自分を祀(まつ)ってほしい祖先は子孫を病気にする。呪術(じゅじゅつ)師を通して祖先の意を知った子孫は、病気を治すため祭屋に供物をして祭祀集団に加入する。プユマ族のほか多くの種族では、個人を中心とした双性血縁(日本の親類のような)紐帯(ちゅうたい)も重要な役割を果たしている。
宗教観念もかならずしも一様でないが、善霊、悪霊、ときにはそれと区別される神が存在し、神の満足を得、災禍から免れ幸運を授けてもらうため供物をすることや、生産とくにアワに関する儀礼や禁忌、死に関する穢(けがれ)の観念や服喪の習慣、神霊の意思を知り生者の願いを伝える呪術師の存在などは、多くの種族にみられる現象である。
[末成道男]
首狩りは、ヤミ族を除く種族で盛んに行われていた。首狩りは普通、好戦性や残忍性の表れと解されるが、その目的はかなり多様であり、種族によっても差異がある。まず、首級に含まれている霊力で豊作や悪疫の駆除を祈ることがあげられる。直接の霊力でなく、いったん首を神に供え、神の歓心を買って神の力で目的を果たすものもある。次に、争いの是非を判断したり、個人的嫌疑を晴らすための首狩りが、タイヤル族とサイシャット族で行われていた。復讐(ふくしゅう)のため、あるいは武勇を示すための首狩りは、各種族にわたって行われている。ただし、首狩りは通常の戦闘とは区別されており、多くは待ち伏せし背後から襲い、女、子供、ときには埋葬前後の死者の首を持って帰る場合もあったという。つまり、単純に武勇を発揮することだけが本来の目的ではないのである。また、プユマ族やアミ族では、首を狩った者は勇士としてたたえられると同時に、殺人者としての穢を祓(はら)う儀礼を行わなくてはならなかった。このような恐怖感の伴う行為としての側面はもっと究明する必要があるように思われる。首狩りは、屋内埋葬などの習慣とともに、日本統治初期に強制的に廃止させられた。
[末成道男]
以上のような伝統的習俗は、半世紀以上にわたる日本統治と、それに続く中華民国の支配やキリスト教化、および最近の急速な産業社会化によって、大きく変容を迫られている。しかしその対応には、たとえば同じように漢族式の位牌(いはい)を取り入れても、父系のサイシャット族と選系のプユマ族では、祀られている祖先の範囲がまったく異なっているように種族による差が認められる。かつて「生番」と称されていた9種族も、現在ほとんどが初等教育を受け、オートバイに乗り、動力農器具を駆使し、若者は都会の工場や遠洋航海に出稼ぎに行くといった社会を形成している。漢族の圧倒的な人口比から、伝統的な慣習を維持し続けることは困難で、いずれは「平埔族」と同じように漢族社会に吸収されてゆくであろうが、部分的にはかなり後まで固有の特色を保持してゆくものと予想される。原住民の権利意識の高まりとともに、伝統文化の部分的復活や創造も盛んになっている。
[末成道男]
『『古野清人著作集 第一巻』(1972・三一書房)』▽『『馬淵東一著作集』全3巻(1974・社会思想社)』▽『日本順益台湾原住民研究会編『台湾原住民研究への招待』(1998・風響社)』
台湾の先住民族の呼称の一つ。種族により言語・習俗・生活状態が異なる。台湾総督府は彼らをタイヤル,ブヌン,ツオウ,サイセット,パイワン,アミ,ヤミの7種族に分類し,蕃人・蕃族あるいは生蕃(せいばん)・熟蕃と蔑称したが,のち高砂族と改めた。第2次大戦後には高山(こうざん)族・山地同胞とも呼称されたが,いずれも他称。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…そのうち漢族化したものを熟蕃(じゆくばん),そうでないものを生蕃(せいばん)と呼んだが,これは日本の台湾領有(1895‐1945)に先立つ清朝時代からの称呼であり,たとえば大陸の少数民族であるミヤオ(苗)族を,その漢族化の程度によって,熟苗と生苗とに分ける流儀である。しかし〈蕃〉には軽侮の語感を伴うので,日本時代の中ごろから生蕃という称呼を高砂族と改め,公文書などにもそれが用いられるようになった。他方,熟蕃に対しては,以前から漢族のあいだで行われていた平埔(へいほ)族(民間での使用頻度ではむしろ平埔蕃)という別称がしだいに採用されている。…
※「高砂族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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