江戸後期の蘭方(らんぽう)眼科医。阿波(あわ)藩中老伊蔵好直(いくらよしなお)の子。徳島助任(すけとう)(徳島市常三島(じょうさんじま)町)山崎邸に生まれた。生後数日で城下に開業の眼科医高錦国(きんこく)の養子となる。名は淡、字(あざな)は子清、良斎、輝淵と号す。13歳から医学修業に入り、錦国から漢方眼科を、乾純水(いぬいじゅんすい)に本草(ほんぞう)学を学んだ。1817年(文化14)長崎で吉雄権之助(よしおごんのすけ)(1785―1831)にオランダ語・蘭方医学を学び帰郷、1823年(文政6)シーボルトの来日を聞き、長崎に再遊、語学力を買われ助手として活躍し、江戸参府にも随行した。1828年シーボルト事件に連座して入獄、赦免後、徳島で開業、1836年(天保7)大坂で眼科診療とオランダ語を教授(「照淵堂」とよぶ)。1840年明石(あかし)藩医となる。シーボルトの虹彩(こうさい)切除手術を見学、土生元碩(はぶげんせき)(1762―1848)以前に散瞳(さんどう)薬を使用、その実態を初めて公開した。弘化(こうか)3年9月13日没。墓所は大阪市中央区谷町6丁目妙光寺で、徳島市寺町本覚寺に分骨されている。訳書に『西医新書』『薬品応手録』、著作に『耳眼詳説』『蘭法内用薬能識』『駆梅要方』『眼科便用』『女科精選』など多数がある。
[末中哲夫]
『高於菟三・高壮吉著『高良斎』(1939・私家版/複製・1994・大空社)』▽『福島義一著『阿波の蘭学者――西洋文化を伝えた人たち』(1982・徳島県出版文化協会)』
(福島義一)
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