高野孟矩(読み)タカノ タケノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「高野孟矩」の解説

高野 孟矩
タカノ タケノリ


肩書
衆院議員(戊申倶楽部),初代台湾総督府高等法院長

生年月日
嘉永7年1月23日(1854年)

出生地
陸奥国磐城宇多郡谷地小屋村(福島県)

経歴
仙台藩士の陪臣の子として生まれる。上京後、政治家大木喬任書生となり、明治13年大木の推挙により検事任官。大阪上等裁判所などに勤めた。16年判事となり、24年札幌地裁所長、27年新潟地裁所長を歴任。29年台湾総督府高等法院の初代院長に就任。30年10月政府により院長を免ぜられると、裁判官の身分憲法により保障されているとして転任を拒否、同年12月懲戒免官された。以後、政府に対して訴訟を起こし、処分の撤回はなされなかったものの、台湾の司法官に憲法上の身分保障があることを認めさせることに成功した。36年衆院議員に当選、2期務めた。

没年月日
大正8年1月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「高野孟矩」の解説

高野 孟矩
タカノ タケノリ

明治・大正期の司法官,政治家,弁護士 衆院議員(戊申倶楽部);初代台湾総督府高等法院長。



生年
嘉永7年1月23日(1854年)

没年
大正8(1919)年1月4日

出生地
陸奥国磐城宇多郡谷地小屋村(福島県)

経歴
仙台藩士の陪臣の子として生まれる。上京後、政治家の大木喬任の書生となり、明治13年大木の推挙により検事に任官。大阪上等裁判所などに勤めた。16年判事となり、24年札幌地裁所長、27年新潟地裁所長を歴任。29年台湾総督府高等法院の初代院長に就任。30年10月政府により院長を免ぜられると、裁判官の身分は憲法により保障されているとして転任を拒否、同年12月懲戒免官された。以後、政府に対して訴訟を起こし、処分の撤回はなされなかったものの、台湾の司法官に憲法上の身分保障があることを認めさせることに成功した。36年衆院議員に当選、2期務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高野孟矩」の解説

高野孟矩 たかの-たけのり

1854-1919 明治-大正時代の司法官,政治家。
嘉永(かえい)7年1月生まれ。明治13年検事となり,札幌地方裁判所長,台湾総督府高等法院長などをつとめる。のち転任の辞令承諾せず法相とあらそった。35年弁護士となり,翌年衆議院議員(当選2回)。大正8年1月4日死去。66歳。陸奥(むつ)宇多郡(福島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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