朝日日本歴史人物事典 「高野孟矩」の解説
高野孟矩
生年:安政1.1.23(1854.2.20)
明治期の司法官。磐城国宇多郡谷地小屋村(福島県相馬郡)で,仙台藩士陪臣高野孟直,ひさ子の次男として生まれる。明治1(1868)年戊辰戦争に藩軍として従軍し,のちに上京して大木喬任の書生となった。13年大木の推薦によって検事に任用され大阪上等裁判所に勤務。16年7月判事に任官し,24年8月札幌地裁所長,27年4月新潟地裁所長などを歴任。日清戦争の結果,わが国が台湾を領有すると,高野は29年5月初代台湾総督府高等法院長に就任した。これは,台湾の司法部では最高の地位であるが,実際には総督に隷属する扱いを受け,30年10月政府の都合で一方的に院長の職務を免ぜられた。裁判官の身分は憲法によって保障されていると主張する高野は総督や政府と対立し,同年12月懲戒免官となった。しかし,これに応じず,政府を相手どって俸給支払いの訴訟を起こすなどして抵抗を続け,ついには帝国議会も巻き込んだ憲法問題に発展した。結局,政府は高野の処分を変更しなかったが,台湾の司法官については憲法上の保障があることを認めた。かくて,一時期児島惟謙と並ぶ司法界の英雄的存在となった高野は,宮城県から総選挙に数回立候補し,2回当選したが,2度目の任期中,詐欺取材事件にかかわって東京地裁で刑の宣告を受け,衆院議員を辞職した。<参考文献>楠精一郎『明治立憲制と司法官』
(楠精一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報