魚沼神社
うおぬまじんじや
土川の集落の東にある。祭神天香語山命。「延喜式」神名帳の魚沼郡五座の一「魚沼神社」とある社の論社。祭神は農耕神で、この地方の開発に深い関係をもっていたとみられる。かつての別当寺池源寺(慈眼寺)との結び付きから、旧社地を吉谷の郡殿ノ池付近とする説もある。安永九年(一七八〇)に現社号となる以前は上弥彦神社と称し、藪川の宇都宮社・諏訪社、土川の天王社・白山社、小千谷の二荒社・山王社・赤指社、時水の俣倉社・熊野社・石動社・十二社、吉谷の白山社・五霊地社・若宮社・十二社・八幡社、四ッ子の俣倉社、谷内の熊野社の本社である。末社のうち一一社の神像は天正四年(一五七六)に作製されて本殿に安置する。背銘には「弥彦十八社の内 白山明神権現社主敬白 天正四年丙子四月吉日」などとある。拝殿入口には永享九年(一四三七)一一月一五日銘の径一尺四寸の鰐口があり、「奉懸鍔口 越後国魚治郡吉谷村 弥彦 南無大明神」「大願主 西片弥三郎平光行 敬白」と刻され、県指定文化財。一八末社の初見は、文明五年(一四七三)一二月一八日の雲照寺妙瑚証状(魚沼神社文書)に「魚沼郡吉谷村十八社之内、宇津宮・日光・諏方田」とあり、これら三ヵ所の諸役を免除する旨「やふ川惣大宮司」に宛てている。
魚沼神社
うおぬまじんじや
[現在地名]湯沢町神立 宮林
神立の魚野川左岸沿いの集落宮林にある。秋葉山(五九〇・二メートル)北麓に位置し、近くを国道一七号が通る。もと神立三社大明神と称した。祭神天香語山命。天平神護年間(七六五―七六七)の草創と伝える。「延喜式」神名帳魚沼郡五座のうちの「魚沼神社」という。応永三三年(一四二六)に雷火により宮殿一宇を焼亡、神体を現社地に移したという。北西方字石白の宮垣外(宮替戸)の地に旧社地がある。天正六年(一五七八)九月五日の社蔵の棟札に「越後国魚沼郡上田庄石白郷 神立三社大明神(中略)于時天正戊寅年五月起大乱破滅所、樋口伊予守源元兼、為国家安全子孫繁栄寿命長遠 奉再興者也」とあり、御館の乱で破壊されたが、樋口元兼により再興された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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