日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥井信治郎」の意味・わかりやすい解説
鳥井信治郎
とりいしんじろう
(1879―1962)
実業家。両替商(のち米穀商)鳥井忠兵衛の次男として大阪に生まれる。1890年(明治23)大阪商業学校に入学し、92年小西儀助商店(薬種問屋)に入店、イミテーション・ウイスキーの調合技術を習得した。99年ぶどう酒の製造販売を始め、鳥井商店として独立。1906年(明治39)西川定義と共同経営し寿屋洋酒店と改名した。その後西川と分かれ、合名会社寿屋洋酒店とし、文字どおり独立した。現在のサントリー(株)の前身である。彼は製造分野のみでなく、販売、宣伝の分野でも才能を発揮し、堅実さのなかにも大胆さ、斬新(ざんしん)さのあふれる経営活動を行った。また、その温情主義的労務管理も注目される。43年(昭和18)日本雑酒造組合副会長、日本果実酒造組合長に就任し、翌年には全国果実酒共同販売組合理事長に就任した。「信治郎の鼻」として有名な調合技術を駆使して、晩年まで自ら率先してブレンド作業を担当した。
[石川健次郎]
『杉森久英著『美酒一代――鳥井信治郎伝』(新潮文庫)』