日本歴史地名大系 「鳥坂峠」の解説 鳥坂峠とつさかとうげ 長野県:長野市篠ノ井地区塩崎村鳥坂峠[現在地名]長野市篠ノ井塩崎 見山塩崎四(しおざきし)ノ宮(みや)の西部山地の鞍部に位置し、標高五〇五メートル。ここを現更埴(こうしよく)市稲荷山(いなりやま)町から上水内(かみみのち)郡信州新(しんしゆうしん)町に至る県道稲荷山―新町線が通じている。この峠道は、古来から山中の物資の集散地である水内郡新町と更級(さらしな)郡の商業地稲荷山町・武水別神社の存する八幡(やわた)村を結ぶ重要な道路であった。この道を山中の新町方面では稲荷山(いなりやま)道といい、里方の稲荷山・塩崎方面では鳥坂道とよんでいた(長野県町村誌)。 鳥坂峠とさかとうげ 愛媛県:東宇和郡宇和町鳥坂村鳥坂峠宇和町久保(くぼ)(旧鳥坂村)と大洲(おおず)市の境にある峠。標高四六五メートル。大洲市柚木(ゆのき)から嵩富(かさとみ)川沿いに南下、札掛から峠路となり、峠を越えると南側の鳥坂から卯之町(うのまち)へ下る。旧喜多(きた)・宇和両郡の境目近くにあり、戦国期大津(おおつ)城主宇都宮豊綱と松葉(まつば)城主西園寺実充との間で、度々国境紛争があったと「大洲旧記」鳥坂村の項に記す。峠近くで永禄一一年(一五六八)二月、土佐国一条兼定の後援をうけた宇都宮豊綱が、湯築(ゆづき)城(現松山市)城主河野通直と交戦、河野氏の援軍毛利勢が豊綱を打ち破った鳥坂城がある(小早川家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥坂峠」の意味・わかりやすい解説 鳥坂峠とさかとうげ 愛媛県南西部,大洲市と西予市宇和地区にまたがる峠。標高 460m。宇和島街道にあり,峠の宇和地区の久保,正信には,かつて大洲藩の番所があった。国道 56号線が峠の下を全長 1117mの鳥坂トンネルで抜けている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報