鹿野町(読み)しかのちよう

日本歴史地名大系 「鹿野町」の解説

鹿野町
しかのちよう

面積:五二・七七平方キロ

気高郡の南東部に位置する。東の鳥取市、西の青谷(あおや)町、南の東伯(とうはく)郡三朝(みささ)町、南東の八頭(やず)郡河原(かわはら)町とは山地で限られ、北は気高町と接する。町域の大部分は鷲峰(じゆうぼう)山(九二〇・六メートル)の北麓や西麓にあたり、標高二〇〇メートルの高地が六〇パーセントを占める。鷲峰山に水源をもつ河内(こうち)川の上流部や同川支流末用(すえもち)川・水谷(みずたに)川の流域および河内川の旧流路にあたる勝見(かちみ)谷に平野が開けているが狭小である。町域のほぼ北東から南西にかけて主要地方道鳥取―鹿野―倉吉線が走る。鹿野で同道と交差する主要地方道郡家(こおげ)―鹿野―気高線が勝見谷を北に走って国道九号に通じている。

古墳は一三〇基余あり、おもに鹿野の周辺や勝見谷の東西山麓に分布する。古代の気多(けた)郡勝見郷(和名抄)は勝見谷一帯に比定される。


鹿野町
かのちよう

面積:一八二・七一平方キロ

旧都濃郡の北部を占め、現在都濃郡として残る唯一の町。北は島根県鹿足(かのあし)郡柿木(かきのき)村と六日市(むいかいち)町、東は玖珂(くが)郡錦(にしき)町、南は徳山市・新南陽市、西は佐波(さば)郡徳地(とくじ)町に接する。

町域は山地で、北は莇(あざみ)ヶ岳(一〇〇四・二メートル)、小峰(こみね)山(九二九・八メートル)、長野(ながの)山(一〇一五・三メートル)などの山が連なり、集落は北東部から南流する錦(にしき)川とその支流域に点在する。町の中心は南部中央部の鹿野上(かのかみ)で、そこを中心に徳山市・防府(ほうふ)市・山口市・阿武(あぶ)郡阿東(あとう)町・島根県鹿足郡六日市町方面へ道路が延びる。


鹿野町
しかのまち

[現在地名]鳥取市片原(かたはら)四―五丁目

鹿野口惣門(柳蔵口惣門)のすぐ外、南西へ走る鹿野往来に続く両側町。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち下構二〇町の一町として起立された。当初は武家屋敷地下台(しもだい)町も含めて下片原町と称したが、のちに町人地のみを鹿野町と称するようになった(因幡志)。町名の由来は鳥取より鹿野(現鹿野町)への道筋の起点にあたるゆえという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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