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三菱(みつびし)財閥第2代の統率者。明治の代表的な実業家。嘉永(かえい)4年1月8日、土佐国安芸(あき)郡井ノ口村(高知県安芸市)に三菱の創業者弥太郎(やたろう)の弟として生まれる。藩校致道館(ちどうかん)や大坂の成達(せいだつ)書院に学び、兄弥太郎の片腕となって九十九(つくも)商会以来の草創期三菱の事業に尽力した。1885年(明治18)弥太郎の死後、海運業を分離した後の三菱社の社長となり、事業多角化に努め、93年財閥本社(三菱社)、銀行、鉱山、炭礦(たんこう)、造船などを一体とした三菱合資会社を発足させた。その際、社長を弥太郎の長男久弥(ひさや)へ譲り後見役に退いた。96年第4代日銀総裁に就任。なお同年には久弥とともに男爵を授けられた。妻早苗(さなえ)は後藤象二郎(しょうじろう)の娘、長男小弥太(こやた)は第4代の三菱財閥統率者になる。
[松元 宏]
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1851.1.8~1908.3.25
明治期の実業家。土佐国生れ。岩崎弥太郎の弟。弥太郎の主宰する郵便汽船三菱会社の経営を助けたが,1885年(明治18)弥太郎の死にともない同社の社長に就任,同年共同運輸と合併して日本郵船を設立した。86年三菱社を設立,鉱業・造船などを拡充して三菱財閥の基礎を築き,93年弥太郎の長男久弥を社長に合資会社に改組した。96年男爵。同年日本銀行総裁に就任,98年退任した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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