デジタル大辞泉
「麻生豊」の意味・読み・例文・類語
あそう‐ゆたか〔あさふ‐〕【麻生豊】
[1898~1961]漫画家。大分の生まれ。報知新聞の漫画記者として、日本初の新聞連載四コマ漫画「ノンキナトウサン」を書いた。他に「赤ちゃん閣下」「只野凡児」など。
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麻生 豊
アソウ ユタカ
大正・昭和期の漫画家
- 生年
- 明治31(1898)年8月9日
- 没年
- 昭和36(1961)年9月12日
- 出生地
- 大分県
- 学歴〔年〕
- 工手学校機械科中退
- 経歴
- 大正4年上京、工手学校に入ったが、病気のため帰郷。時事新報の漫画欄に投稿、北沢楽天に認められて再び上京。11年報知新聞の漫画記者となり、13年から「ノンキナトウサン」を連載、4コマの家庭漫画で、第1次世界大戦後の激動の時代に適合できないノンキナトウサンの滑稽さが大人気を呼んだ。昭和に入って読売新聞に移り、7年には朝日新聞の専属となって「只野凡児」を連載、不景気な時代のインテリ失業者を描いて再び人気を得た。晩年は連作「銀座復興絵巻」に力を注いだ。他に「むすこの時代」などがある。大分県宇佐市に遺品を収めた麻生豊資料館がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
麻生豊【あそうゆたか】
漫画家。大分県生れ。北沢楽天に師事。1922年《報知新聞》入社,1924年より同紙に《ノンキナトウサン》を連載。失業者の視点から社会を風刺する作品で,人気を得る。1933年から8年間朝日新聞専属として《只野凡児》などを描いた。
→関連項目漫画
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麻生豊 あそう-ゆたか
1898-1961 大正-昭和時代の漫画家。
明治31年8月9日生まれ。北沢楽天に師事。大正11年「報知新聞」記者となり,12年から4コマ家庭漫画「ノンキナトウサン」を連載,人気をえる。新聞連載はほかに「赤ちゃん閣下」「只野(ただの)凡児」など。昭和36年9月12日死去。63歳。大分県出身。工手学校中退。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
麻生 豊 (あそう ゆたか)
生年月日:1898年8月9日
大正時代;昭和時代の漫画家
1961年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の麻生豊の言及
【連載漫画】より
…日本における最初の連載漫画は,1923年,《アサヒグラフ》に連載された織田信恒案,樺島勝一画の《正チャンの冒険》であるといわれている。その後日刊新聞にも連載漫画は載るようになったが,なかでも24年から《報知新聞》に連載された麻生豊の《ノンキナトウサン》は,4こまの漫画欄をページの左上に固定するきっかけになるとともに,マンガ・キャラクターやこま展開の原型をつくった。起承転結があり,明治以前からの大衆的伝統である小話型と響き合う味わいをもっている。…
※「麻生豊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」