黒人意識運動(読み)こくじんいしきうんどう(英語表記)Black Consciousness Movement

日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒人意識運動」の意味・わかりやすい解説

黒人意識運動
こくじんいしきうんどう
Black Consciousness Movement

1970年代の南アフリカ共和国で、スティーブ・ビコら若い学生が中心になって展開した、アパルトヘイト体制下の黒人に意識の変革を迫る運動

 自らの「黒人性」という根源に立ち返って、黒人であることの誇りと自覚を通して精神的自立と自助を目ざすこの運動は、当初、教会本拠にして黒人への医療とともに、読み書き裁縫、保健などを教えるブラック・コミュニティ・プログラムと連帯する、黒人の生活向上運動として出発した。彼らは実践活動の場を黒人一般民衆の実生活のなかに求めたが、この運動の推進母胎となったのが、教育・医学両面での学生の技術を社会へ還元する社会奉仕、つまりボランティア活動を目的として1969年に発足した南アフリカ学生機構(SASO(サーソー))である。のちに運動の輪を一般黒人にまで拡大する目的で1972年に黒人会議(BPC)が、さらに1975年には黒人女性連合が結成されるに及び、この運動はしだいに黒人純血ナショナリズムの性格を顕著にしつつ、1976年のソウェト(ヨハネスバーグ郊外の黒人居住区)蜂起(ほうき)の推進力へと発展していく。1977年にこの運動の主導者ビコが逮捕され拷問の末獄死したが、この運動によって目覚めた若者たちは、1980年代の南アフリカの騒乱状態を導き、やがて1991年のアパルトヘイト基本三法の廃棄へと白人政府を追い込むこととなった。

 この運動を要約すれば、まず黒人の潜在意識に根深く潜む劣等感の払拭(ふっしょく)と清算に始まり、ついで「黒さ」の尊厳の自覚によって、黒人に精神的自立と自力更生を目覚めさせ、最後に南アフリカ黒人の解放へと進む、巨大な裾野(すその)をもつ抵抗運動といえる。そしてこの3段階のそれぞれの過程で、ファノンの自己検証、サンゴールの同化拒否を旗印とするネグリチュード運動、カウンダの人道的社会主義、とりわけニエレレの自立更生の思想の影響を強く受けており、その限りでは現代アフリカ思想の集大成の側面をもつということができる。なお、この運動から育った作家にM・セローテMongane Serote(1944― )、M・ムツアーツイMothobi Mutloatse(1952― )、M・マナカMatsemela Manaka(1956―1998)、M・マツオーバMtutuzeli Matshoba(1950― )、S・セパムラSipho Sepamla(1932―2007)らがおり、1978年3月創刊の『スタッフライダー』Staffriderは、この運動の精神を継承した文化雑誌である。

[土屋 哲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒人意識運動」の意味・わかりやすい解説

黒人意識運動[南アフリカ共和国]
こくじんいしきうんどう[みなみアフリカきょうわこく]
Black Consciousness Movement

アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国で起こった黒人の解放運動。1968年に結成された南アフリカ学生機構 SASOの初代議長であり,1972年に創設された黒人人民会議 BPCの名誉議長でもあったスティーブ・ビコ(1977年9月拘禁中に死亡)によって始められた。黒人の伝統,慣習,価値の再評価を通じて黒人に誇りと自信を植え付け,政治意識を高めて自己解放に結びつけようというもの。具体的には,黒人共同社会計画によって自助の精神や制度を黒人の間に広め,ブラック・コミュナリズム型経済体制の確立を目指した。運動の性質上,白人リベラルとの共闘は拒否し,黒人大衆の間に着実に勢力を浸透させた。南アフリカ政府によるバンツースタン(ホームランド)への独立付与政策に強く反対し,1976年6月のソウェト蜂起も,この運動に刺激された面が強い。ソウェト蜂起以後,黒人意識運動の流れをくむ代表的な組織としては 1978年創設されたアザニア人民機構 AZAPOがある。

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百科事典マイペディア 「黒人意識運動」の意味・わかりやすい解説

黒人意識運動【こくじんいしきうんどう】

南アフリカ共和国において,1960年代末から1970年代にかけて学生を中心に広がった意識改革の思想と運動。ここでいう黒人とはアフリカ人だけではなく,白人人種主義によって差別されている全有色人種を意味する。その目標は,白人優位の価値体系・社会経済構造のなかで黒人としての尊厳を確立し肯定することで,黒人であることの否定性・隷属性から自らを解放しようとするものである。ビコSteve Biko〔1946-1977〕はその代表的運動家。

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