ビコ(英語表記)Biko, Steve

デジタル大辞泉 「ビコ」の意味・読み・例文・類語

ビコ(Giambattista Vico)

ビーコ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビコ」の意味・わかりやすい解説

ビコ
Biko, Steve

[生]1946.12.18. キングウィリアムズタウン
[没]1977.9.12. プレトリア
南アフリカ共和国黒人意識運動の創始者。フルネーム Bantu Stephen Biko。政治活動を理由に高校を退学処分になったのち,1966年にナタールのリベラルな寄宿学校セント・フランシスカレッジを卒業し,ナタール大学医学部に進む。在学中,多民族で構成される南アフリカ全国学生連盟 NUSASで活動した。1968年黒人組織である南アフリカ学生機構 SASOを共同で結成し,翌 1969年初代議長に就任。黒人意識運動は 1970年代に南アフリカ全土の都市の黒人社会へと広がった。1972年黒人人民会議 BPCの設立に参加。1973年,他の SASOのメンバーとともに活動禁止処分を受け,相互の交流や活動,公的な言論などを制限されたが,その後もひそかに活動を続け,1975年に政治犯とその家族を救済するためにジメーレ信託基金を設立。1977年8月,同志とともに路上の検問で逮捕され,ポートエリザベスで拘禁された。同年 9月11日,約 1200km離れたプレトリアの病院の前で,裸のまま手足を縛られた状態で発見され,翌日脳出血により死亡した。当初警察は拷問を否定していたが,1997年になって 5人の元警察官がビコを殺害したことを認めた。南アフリカの新聞記者ドナルド・ウッズは『ビーコウ』Biko(1977)でビコとの友情を描き,これを原作に映画『遠い夜明け』Cry Freedom(1987)が制作された。

ビコ
Vico, Giambattista

[生]1668.6.23. ナポリ
[没]1744.1.23. ナポリ
イタリアの哲学者,文学者。貧しい本屋に生れ,なかば独学で研鑚を積み,形而上学,法学歴史学の諸分野にわたって,古代から同時代の海外の思潮にまで通暁していた。デカルトの数学的な主知主義に反対し,また科学に対する独自の原理を打立て,歴史主義の先駆者となった。また,不確実な人生の現実に効果のあるものとしてレトリックの復権を企てた。 1723年世俗の争いごとに幻滅して,孤独の瞑想生活に入り,彼の思想の集成である『新科学』 Scienza nuovaの第1版 (1725) を自費で刊行。これはのちに補訂され,第2版 (30) ,第3版 (44) となって結実。そのほか,三人称を用いて客観的に書いた『自叙伝』 Autobiografia (25) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビコ」の意味・わかりやすい解説

ビコ(Giambattista Vico)
びこ
Giambattista Vico
(1668―1744)

イタリアの哲学者。ナポリの貧しい家庭に生まれる。幼年期頭蓋骨(ずがいこつ)を傷めるほどのけがをし、一生涯心身ともにその結果に悩まされる。ほとんど独学に等しく、とくにチレントの一寒村で家庭教師をしていた時期(1686~1695)に古典、ローマ法、哲学などの書物を熱心に読んだ。1699年ナポリ大学で修辞学の教授となり、さらによい地位を求めたが、一生その職にとどまらなければならなかった。

 デカルトの数学的合理論を一面的な解釈として退け、人間の言語、文学、習慣、宗教、法律など文化的活動全般の権利を回復しようとする。また、デカルトのコギト(われ考える)は、自己の存在は明らかにするが、存在の学へ導くものではないとし、ファーレ(つくる)、すなわち対象を精神のなかで再構成することのなかに、真理の新しい基準をみいだす。この認識論にたち、人間の所産でない自然に関する科学よりも、人間のつくったものとしての歴史にもっぱら関心を向ける。人間の歴史は、人間認識の感覚、表象力、理性の三段階に呼応する三つの周期――原始的で神々の時代、詩的で英雄の時代、市民的で真に人間の時代――の絶えざる循環を通じて発展するものであり(いわゆる「コルシ」「リコルシ」の理論)、しかもこの発展はけっして運命的なものではなく、人間の自由な自己実現だとする。この歴史観は主著『新科学』(1725)のなかで述べられている。

[大谷啓治 2015年10月20日]

『清水純一・米山喜晟訳『世界の名著33 ヴィーコ』(1979・中央公論社)』


ビコ(Stephen Biko)
びこ
Stephen Biko
(1946―1977)

南アフリカ共和国の黒人意識運動の指導者。東ケープ州キングウィリアムズタウンに生まれる。ナタール大学在学中(1966~1972)、南アフリカ政府の人種主義政策に反対する南アフリカ学生国民連合(NUSAS)に最初参加したが、白人学生との共闘より黒人意識の変革が重要であると自覚し、1969年7月全黒人南アフリカ学生組織(SASO)を結成し、翌1970年NUSASから分裂した。以後、黒人意識運動は学生以外にも広まり、1972年には黒人会議Black People's Convention(略称BPC)が結成され、ビコは名誉会長になった。運動と並行して文筆活動を行い、同年大学を追放され、保安警察監視下でキングウィリアムズタウン内に行動は制限された。しかし文筆活動を続けたためその間たびたび逮捕され、1977年8月には五度目の逮捕で警察の拷問を受け、9月12日留置所内で死亡した。この事件が明らかになると世界各地の人々が南アフリカの人種主義政策を激しく非難した。

[林 晃史]

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普及版 字通 「ビコ」の読み・字形・画数・意味

【靡】びこ

やむことなし。厳しい。〔詩、小雅、四牡〕豈に歸るを懷(おも)はざらんや 王事(や)むこと靡(な)し 我が心傷悲す

字通「靡」の項目を見る

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