改訂新版 世界大百科事典 「排仏思想」の意味・わかりやすい解説
排仏思想 (はいぶつしそう)
日本の仏教排撃運動は,近世に至るまで政治問題と深く関係していたのに対して,江戸時代には諸学問の興隆とともに多くの排仏思想が広まった。なかでも儒学は幕府や諸藩が奨励したので,朱子学を中心に大いに発展した。前半期には,朱子学派の藤原惺窩(せいか),林羅山,山崎闇斎,藤井懶斎,佐藤直方,室鳩巣(むろきゆうそう),貝原益軒,陽明学派の中江藤樹,熊沢蕃山,古学派の山鹿素行,伊藤仁斎,荻生徂徠,太宰春台らが,仏教の超俗的性格を人道否定の反倫理的なものとして強力に批判した。後半期になると,儒学の立場で幕藩体制の政治的・経済的危機を救おうとする経世論家が輩出し,中井竹山,中井履軒,正司考祺,帆足万里(ほあしばんり),頼山陽,蒲生君平,神惟孝らが,寺院や僧侶を国費,民費の浪費として,その削減や統制を主張し,水戸学派の藤田東湖,会沢正志斎らも実利的な排仏論を説いた。また後半期の大坂懐徳堂の儒者は科学的な視点で仏教を批判し,五井蘭洲,山片蟠桃らは天動説や地動説の理解により仏教宇宙観(須弥山(しゆみせん)説)を否定し,富永仲基は歴史科学的な立場で大乗仏教を非仏説として論証した。また,近世には国学が勃興発展し,日本古来の国風文化の究明に努めたが,前半期では白井宗因,戸田茂睡,天野信景,松下郡高,荷田春満(かだのあずままろ)らの著に,仏教が国風を阻害するとした批判が散見する。後半期になると,国学は諸流に分かれて発達するが,そのうち復古国学の流派では,賀茂真淵,本居宣長,平田篤胤らが仏教を人間の自然の情を矯(た)めるもの,儒仏以前の古神道的な古代的精神に反するものとして批判した。また宣長,篤胤らは,懐徳堂の儒者たちと同じく須弥山説批判や大乗非仏説論を説いた。国学の排仏論中とくに篤胤の思想は国家的立場からもっとも激烈をきわめ,水戸学のそれとともに明治維新政府の神仏分離による国家神道設立策に大きな影響を与えた。なお幕末には1858年(安政5)の開国後,プロテスタントが流入し,中国駐在の欧米宣教師が漢文で書いた《釈教正謬》《祀先弁謬》などの仏教批判書が流布するにいたり,先の儒学者,国学者の排仏書とともに,仏教界に脅威を与えた。
執筆者:柏原 祐泉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報