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正司考祺 しょうじこうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

正司考祺
しょうじこうき

[生]寛政5(1793).肥前
[没]安政4(1857).肥前
江戸時代後期の経済学者。有田の商人。通称は正治。号は碩渓,南鶏。早くから独学で経世の学を修め,安積艮斎佐藤一斎らと交わった。伝統的な農本主義が必ずしも払拭されてはいないが,『聖人四職の道』で四民分業論を展開して自由な商工業の発達を自然の理法の発現とし,国力の増益に資するものとしてその意義づけを行なっている。著書『経済問答秘録』『武家七徳』『家職要道』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

正司考祺 しょうじ-こうき

1793-1858* 江戸時代後期の経世家。
寛政5年生まれ。肥前有田(佐賀県)の豪商経世書を執筆して商人の自由な経済活動を主張し,藩営事業,均田制などに反対した。晩年は山野をひらき,産業を奨励した。安政4年12月6日死去。65歳。字(あざな)は子寿。通称は庄治。号は碩渓,南鴂。著作に「経済問答秘録」「天明録」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうじこうき【正司考祺】

1793‐1857(寛政5‐安政4)
江戸後期の経世家。字は子寿,通称庄治。碩渓,南鴃と号す。肥前有田の商家の出。少時は貧困だが,学を好みかつ商才にたけ,のち巨富を積み,町の復興,山野開発,国産増殖を行う。農工商三民は武家の三宝であり,平等に社会の重要な要素とみなし,当時諸藩で行われた藩営工業・専売に反対して,町人経済活動の自由を唱えた。主著は《経済問答秘録》《天明録》《家職要道》。【塚谷 晃弘】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正司考祺
しょうじこうき
(1793―1857)

幕末の経世家。通称は正治、号は南鴃(なんげき)、碩渓(せきけい)。肥前(佐賀県)有田の富商の家に生まれる。実地に産業開発事業を試みる一方、古今の事例、学説を縦横に参照し、『経済問答秘録』(1841)『天明録』(1856成立)『家職要道』『武家七徳』(1845)などの経世書を著した。その所説には、未整理な部分や保守的経世論を踏襲した側面もあるが、一方で、考祺は商人の自由な経済活動を富国の基礎と考え、武士の帰農、均田、限田などの単純な平等論や金利の人為的制限などの当時流行の主張に反対し、同時代人の偏狭な見解にとらわれない経世論を展開した。このため考祺の思想に日本的ブルジョア経済論の萌芽(ほうが)を認める者もある。著作は『日本経済大典』34、35、36巻に所収されている。[島崎隆夫]

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