江川 卓(読み)エガワ タク

20世紀日本人名事典 「江川 卓」の解説

江川 卓
エガワ タク

昭和・平成期のロシア文学者 東京工業大学名誉教授。



生年
昭和2(1927)年1月24日

没年
平成13(2001)年7月4日

出生地
東京

本名
馬場 宏(ババ ヒロシ)

学歴〔年〕
東京大学法学部政治科〔昭和26年〕卒

主な受賞名〔年〕
読売文学賞(評論伝記賞 第38回)〔昭和62年〕「謎とき『罪と罰』」

経歴
父はロシア文学者の外村史郎独学で始めたロシア語を、終戦後、北朝鮮でのロシア人との交流で鍛えあげ、昭和30年代にロシアソビエト文学の研究に着手。東京工業大学教授、中京大学教授を歴任。明快で分かりやすい翻訳で知られ、特にドストエフスキーの翻訳に一時代を画し、「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」をはじめ、ソルジェニーツィンパステルナークなど数多くのロシア近現代文学の名作を日本に紹介した。また、ドストエフスキー研究の第一人者として知られ、小説中の言葉の多義性や神話的、民俗的背景、聖書との関連を深く追究した「謎とき『罪と罰』」で読売文学賞を受賞。その後「カラマーゾフの兄弟」「白痴」も〈謎とき〉シリーズの続編として手掛けるなど文豪世界への柔軟な切り口で親しまれた。他の著書に「現代ソビエト文学の世界」「ドストエフスキー」、訳書にソルジェニーツィン「1914年8月」「イワン・デニーソヴィチの一日」、パステルナーク「ドクトル・ジバゴ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江川 卓」の解説

江川卓 えがわ-すぐる

1955- 昭和時代後期のプロ野球選手。
昭和30年5月25日生まれ。作新学院高の剛速球投手として甲子園活躍法大で東京六大学野球歴代2位の42勝。昭和53年ドラフト制の「空白の1日」をついて巨人に入団し,問題となる。56年20勝するなど巨人のエースとして活躍したが,肩をこわし,62年引退。実働9年,通算135勝72敗,防御率3.02。のち野球解説者,タレント。栃木県出身。

江川卓 えがわ-たく

1927-2001 昭和後期-平成時代のロシア文学者。
昭和2年1月24日生まれ。馬場哲哉(てつや)の子。昭和33年東京工業大教授,60年中京大教授。独学でロシア語をおさめ,戦後のソビエト文学の動向をはやくから紹介する。ドストエフスキー,パステルナークなどの翻訳で知られ,61年「謎とき「罪と罰」」で読売文学賞。平成13年7月4日死去。74歳。東京出身。東大卒。本名は馬場宏。

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367日誕生日大事典 「江川 卓」の解説

江川 卓 (えがわ たく)

生年月日:1927年1月24日
昭和時代;平成時代のロシア文学者
2001年没

江川 卓 (えがわ すぐる)

生年月日:1955年5月25日
昭和時代;平成時代の野球評論家;元・プロ野球選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の江川 卓の言及

【ドラフト制度】より

…また,プロのアメリカン・フットボールでも同様の制度を1936年から採用している。 ドラフト制は,契約中の選手を球団間でトレードする制度とともに,個人の自由意思を束縛するものとして,日本でもアメリカでもしばしば問題になっているが,77年にクラウンライター・ライオンズ(現,西武ライオンズ)にドラフト指名された法政大学の江川卓投手が入団を拒否,翌年のドラフト会議前日に巨人と契約した事件は多くの議論を呼んだ。その後,93年に新人選手の選択意思を尊重し,大学生・社会人は自分のほうから球団を逆指名する方法が採用された。…

※「江川 卓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」