高岡 智照(読み)タカオカ チショウ

20世紀日本人名事典 「高岡 智照」の解説

高岡 智照
タカオカ チショウ

昭和・平成期の尼僧 祇王寺(真言宗大覚寺派)庵主



生年
明治29(1896)年4月22日

没年
平成6(1994)年10月22日

出生地
奈良市

本名
高岡 辰子

別名
芸名=千代葉,照葉

経歴
明治41年大阪宗右衛門町の「加賀家」から、千代葉の名で舞妓となり美貌と才智で売れっ子に。また愛人に男関係を疑われた際自らの左小指を切って送り、評判になる。44年東京新橋の「新叶家」から照葉と改名して半玉。“絵葉書美人”として赤坂の万竜と並び称され、自伝を著して文学芸者と呼ばれた。大正4年妓籍を去り、株式仲買人・小田末造と結婚。9年夫と共に渡米、1年間ニューヨークに滞在。12年映画「愛の扉」に出演。13年離婚後は、屋台のおでん屋、バーのマダム松竹の女優などの傍ら「照葉懺悔」「白粉地獄」を上梓。昭和4年奈良に隠棲、ホトトギス門下に入る。9年に出家して、得度亮弘坊智照と改名。11年京都大覚寺塔頭祇王寺に入庵。以後、修行と布教のかたわら文筆活動をつづけた。著書に「金春日記」「黒髪ざんげ」「尼生活」「祇王寺日記」「花喰鳥」「つゆ草日記」がある。瀬戸内寂聴小説女徳」、西川千麗の創作舞「祇王寺まんだら」のモデルとなった。45年権小僧正位。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高岡 智照」の解説

高岡智照 たかおか-ちしょう

1896-1994 昭和-平成時代の尼僧。
明治29年4月22日生まれ。41年大阪で舞子となり,44年東京新橋にうつり照葉と名のる。自伝をかいて文学芸者とよばれた。のち女優,バーのマダムなどをしながら文筆活動をつづける。昭和9年出家して智照と改名。11年京都祇王寺の庵主となる。瀬戸内寂聴の小説「女徳」の主人公のモデル。平成6年10月22日死去。98歳。奈良県出身。旧姓橋本本名は辰子。著作に「花喰鳥」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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