精選版 日本国語大辞典 「モデル」の意味・読み・例文・類語
モデル
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翻訳|model
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モデルには基本的に二つの意味がある。一つは,絵画,彫刻,写真,小説などでのモデルであり,これはいわば〈原型〉としてのモデルである。人は,この意味でのモデルに基づいて,何かを作るわけである。いま一つは,プラスチックモデルで代表されるようなモデルであり,これはいわば〈模型〉としてのモデルである。この場合には,人は,何かに対してそのモデルを作るわけである。したがって第1の意味では,モデルは何かに先立ち,第2の意味では,何かがモデルに先立つことになる。そして,科学においてモデルというとき,それは第2の意味においてである。すなわち,科学におけるモデルは,模型としてのモデルである。しかし,こういっても,それにはさまざまな種類がある。
まず大きく分けると,科学におけるモデルは,〈対象モデル〉と〈モデル理論〉に分けられる。そして一般に科学においてモデルというとき,それは対象モデルを意味することが多い。対象モデルはさらに〈単純化モデル〉〈構成モデル〉〈近似モデル〉〈同型モデル〉〈相似モデル〉などに分けられる。単振動,完全流体などは単純化モデルである。このモデルは,実際の対象が一応はわかっているが,そのままでは複雑でとり扱えないとき,あるいはそのままでとり扱う必要がないときなどに用いられる。これに対し,実際の対象がそもそも最初からわかっていないとき,それはかくあるであろうと理論的に想像して構成されたモデルが,構成モデルである。太陽系のモデル,原子模型などは,この種のモデルである。単純化モデルと構成モデルは,いずれも近似のモデルであるから,まとめて〈近似モデル〉といえよう。同型モデルには2種類ある。物理的な同型モデルと数学的な同型モデルである。電流を説明するのに水流をもってするとき,水流は電流の物理的な同型モデルである。なぜなら電流と水流は,ある範囲内で,同じ型のふるまいを示すから。これに対し,交流をサインカーブやコサインカーブで表すとき,それらは交流の数学的な同型モデルである。なぜならサインカーブやコサインカーブは,交流と同じ型のふるまいをし,だからこそ科学者は,実際の交流ではなくサインカーブやコサインカーブを見て,仕事をすることができるのである。相似モデルとは,巨大な,または微小な,要するに一目ではわからない対象を,一目でわかるように相似に縮小または拡大したものである。プラモデル,地図,拡大図などはこの例である。
以上のような対象モデルに対し,そのうちの近似モデルに対して立てられた理論が,モデル理論である。それは,あるべき理論に対しての近似であり,模型であって,その意味ではやはり一種のモデルである。自然科学,社会科学を問わず,近代科学における理論はみなこの種のものである。
以上のほかに,理論的な意味でモデルと称されるものがある。例えば,ブール代数の公理系は,命題の計算としても,〈ベンの図式〉が示すように,平面上の領域の計算としても,真として解釈可能である。このように,ある公理系がある種のものの集合によって真として解釈可能であるとき,その集合をその公理系のモデルという。これは,論理学や数学において用いられる論理的な意味でのモデルである。
執筆者:黒崎 宏
美術におけるモデルとは,画家,彫刻家の目の前にあって制作の拠り所となるもの,とりわけ人物で,人体の構造や動作の正確な把握がモデル使用の第1の目的であるため,裸体であることが多い。
古代ギリシアの芸術家は,競技場で運動する裸体の青年たちをモデルにしたと推定される。女性に関しては,クラシック時代後期の彫刻家プラクシテレスが初めて裸体のアフロディテ像を作ったとき,美しい遊女フリュネがモデルとなったと伝えられる。キリスト教的かつ観念的な中世美術においては,裸体はもちろん着衣でも,モデルに拠る制作は行われなかった。ルネサンスに再びモデルが使用されるようになったことは,完成作の写実性のみならず,特にイタリアに多いポーズするモデルの写生素描に明らかであるが,女性像のための習作でもモデルは男性である。工房に働く多数の若い徒弟を写生するのが簡便で風紀上も問題が少なかったためばかりでなく,男性の肉体の方が女性に比べより完全であるという理念的根拠もその背景にあった。16世紀後半のイタリアにおけるアカデミーの発生に伴って,男性の職業的モデルが登場し,古代彫刻の石膏模刻の写生素描を経てモデルの写生に進むという美術教育課程もここに定まり,この伝統が現代まで継承される。女性モデルは,公式には1759年にフランスの王立絵画・彫刻アカデミーにおいて着衣のそれが初めて認められた。16世紀以来芸術家が個人的に裸婦を写生することはあったにしても,美術学校に裸体女性モデルが導入されるのは19世紀後半のことである。伝統的にはモデルの写生は完成作のための習作であるが,19世紀以降〈人物画〉として写生それ自身を目的に描かれるようにもなった。特定の個人の姿を写した肖像についても描写された対象をモデルと呼ぶが,英語ではこれは普通〈シッターsitter〉(肖像を制作してもらうため座る人)という。なお,彫刻,建築のための雛型もモデルと呼ばれ,イタリア語のモデロmodelloは絵画の構図習作も含む。
→素描
執筆者:高橋 裕子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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