改訂新版 世界大百科事典 「二個師団増設問題」の意味・わかりやすい解説
二個師団増設問題 (にこしだんぞうせつもんだい)
日露戦争後から第1次世界大戦にいたる間の陸軍軍備拡張をめぐる政治問題。日露戦争開始期13個師団であった陸軍兵力は,戦時に4個師団増え,戦後の1906年9月に2個師団増設され19個師団となった。翌07年策定の帝国国防方針にもとづき陸軍はさらに朝鮮駐留の2個師団増設を要求したが,戦後の財政難のなかでこの要求は実現しなかった。11年8月成立の第2次西園寺公望内閣は,行財政整理を政策の中心にすえたが,陸海軍は軍備拡張を要求した。同年10月の中国の辛亥革命は軍部首脳に強い衝撃を与え,朝鮮,満州への革命の波及をおそれた陸軍は朝鮮常駐の2個師団増設を強く要求するにいたった。しかし世論は行財政整理を切望し,師団増設に反対した。こうしたなかで上原勇作陸相,田中義一軍務局長は財界などに働きかけ,12年11月22日の閣議に6ヵ年継続,総額1200万円の増師を要求した。しかし閣議は増師案を否決し,12月2日上原陸相は帷幄(いあく)上奏の形で単独辞職し,陸軍は後任陸相を推薦しなかったため西園寺内閣は総辞職に追い込まれた。
この事件をきっかけに世論の軍閥横暴の批判が高まり,大正政変・第1次護憲運動へと発展していく。その後二個師団増設問題は政界の底流にくすぶりつづけるが,1914年4月成立の第2次大隈重信内閣は,第1次世界大戦勃発を背景に,第35議会に2個師団増設予算を提出したが,政友会の反対で否決され,議会を解散した。選挙で大勝した大隈内閣は,15年6月第36議会で増師案を通過させ,同年12月第19(羅南),第20(竜山)師団が編成された。
執筆者:由井 正臣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報