1913年(大正2)2月、第一次憲政擁護運動によって第三次桂(かつら)太郎内閣が倒れた政変。前年12月、2個師団増設要求がいれられず上原勇作(うえはらゆうさく)陸相が辞任、陸軍が後任陸相を出さなかったため、第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣は総辞職し、宮中に退いた内大臣桂太郎が組閣した。この事態は陸軍・藩閥の横暴と受け止められ、憲政擁護運動を興起させた。桂首相は従来のような政友会との妥協策をとらず、議会の停会を重ねながら新党(立憲同志会)結成によって事態を打開しようとしたが、民衆運動の激高、政友会の護憲運動への全面的参加のなかで孤立し、2月10日民衆が議会を包囲するなかで総辞職を決めた。民衆の政治的成長が背景にあり、長州閥と政友会の提携である桂園時代を終わらせるとともに、陸軍の独走を抑え、大正デモクラシー状況を大きく切り開く意義をもった。
[阿部恒久]
『山本四郎著『大正政変の基礎的研究』(1970・御茶の水書房)』▽『由井正臣「2個師団増設問題と軍部」(『駒沢史学』第17号所収・1970・駒沢大学史学会)』▽『坂野潤治著『大正政変』(1982・ミネルヴァ書房)』
1913年の憲政擁護の民衆運動で第3次桂太郎内閣が倒された政変。1912年陸軍の二個師団増設問題で第2次西園寺公望内閣が倒れると,元老会議での後継首班推薦は難航し,結局この年8月大正天皇即位にともない内大臣として宮中入りした桂太郎を推薦した。桂はとくに天皇に詔勅を出させて組閣に着手し,軍備拡張を入閣の条件とした海軍大臣斎藤実をも詔勅によって留任させ,組閣を完了した。こうした軍部の横暴,桂の再度の詔勅による組閣に対する藩閥の非立憲的行動に,ジャーナリスト,政党院外団,交詢社系の実業家,政治家は憲政擁護会を結成,〈閥族打破,憲政擁護〉をスローガンに運動を起こした。運動は全国各地に波及し,各地で市民大会が開かれた。12月27日開会の第30議会は翌13年1月20日まで休会にはいったが,休会明けの21日に桂は議会を15日間停会し,同時に新党計画を発表,国民党と政友会の切崩しにかかった。しかし,国民党改革派の一部は桂新党に走ったものの,政友会はかえって結束を固めた。2月5日停会明け議会で,数万の群衆が議事堂を取り巻くなか,政友,国民両党は内閣不信任案を提出し,桂の詔勅政策,宮中・府中を乱す政治行動を攻撃,議会はふたたび5日間の停会となった。窮地にたった桂は政友会総裁西園寺に衆議院の紛糾を解決するよう詔勅を下したが,政友会は勅命を推して,民衆の激励をうけながら2月10日の議会にのぞみ,内閣不信任案の可決に突進した。桂は議会解散を決意したが,議事堂を取り巻く数万の群衆の革命化をおそれて,11日総辞職した。都市下層民を主体に,中間層と非特権ブルジョアジーの指導による民衆運動が政党をつきあげて官僚内閣を倒したのは,これが最初であった。
→護憲運動
執筆者:由井 正臣
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1913年(大正2)2月に憲政擁護運動により第3次桂内閣が総辞職した政変。1912年12月に成立した桂内閣は,民衆運動や言論界の集中攻撃をうけ,国民党・政友会も加わって,憲政擁護運動が高揚した。桂は13年1月新党計画を発表し,国民党の過半数は参加したが,政友会の切り崩しには失敗。当初憲政擁護運動に警戒感を抱いていた原敬(たかし)ら政友会幹部も,桂との妥協が不可能になると憲政擁護大会に弁士を派遣した。解散・総選挙が困難になった桂は2度にわたり議会を停会し,天皇に西園寺への優諚(ゆうじょう)を要請して事態の乗り切りをはかるが,薩派・海軍も政友会と接近して反対にまわったため,桂内閣は2月11日に総辞職,山本内閣が成立。
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…停会あけの議会で尾崎行雄は桂の詔勅政策を批判する演説を行うなど民党の結束は固く,2月10日には数万の民衆が議会を包囲するなかで,桂内閣は民衆の革命化を恐れてついに辞職した。この大正政変と呼ばれる政変は,民衆の力が内閣を倒した最初であった。 桂内閣のあと政友会の支持をえて海軍の巨頭で薩摩閥の山本権兵衛が内閣を組織した。…
…これは,明治天皇の践祚が1867年1月9日であるため,天皇の在位期間と一致せず,一世一元制の採用以前の時期を包摂できない。歴史学上での時期区分からすれば,1853年(嘉永6)ペリーの来航に始まる幕末・維新期の激動の時代から,明治天皇の没後に新しい時代の台頭を象徴する事件として生起した大正政変のころまでを指すのが適切であろう。さらに,明治時代を時期区分するとすれば,まず1877年の西南戦争までの明治維新期,ついで1890年までを自由民権運動と明治憲法体制の成立の時期として区切ることができ,さらに日清戦争を経て1900年前後までの帝国主義成立期,それ以後の日露戦争をはさむ帝国主義確立の時代に区分することが可能である。…
※「大正政変」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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