1954年3月8日,岡崎勝男外務大臣とアリソンJ.M.Allison駐日アメリカ大使との間で調印された協定で,〈相互防衛援助協定〉〈農産物購入協定〉〈経済措置協定〉〈投資保障協定〉の四つからなる。日本の軍事力増強を図るためにアメリカが援助を与えることを主旨とし,その根拠がアメリカで1951年10月に成立した相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)に求められたのでこの名がある。MSAは,従来さまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化し,アメリカの援助受入国に対して自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた法律であり,1950年代のアメリカの世界戦略を担っていた(〈軍事援助〉の項目を参照)。アメリカは54年会計年度予算にMSAによる対日援助費を計上し,日本の治安維持体制と軍備の強化を意図したが,吉田茂内閣もこの受入れをはかり1953年7月より正式交渉が開始され,10月の池田・ロバートソン会談を経て54年3月に調印がなされた。朝鮮戦争後のアメリカの極東軍事戦略の再編の一環として進められた政策であり,この援助に支えられて日本の軍事力は地上軍のみであった状態から,54年7月,陸・海・空各自衛隊の3軍構成による自衛隊へと発展させられた。
執筆者:佐々木 隆爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1954年(昭和29)3月8日,日米間に締結された協定。アメリカの相互安全保障法(MSA,Mutual Security Act)にもとづく4協定。相互防衛援助協定・農産物購入協定・経済措置協定・投資保証協定の総称。米国政府は53年に,西側陣営の結束強化の目的で,同盟国に対してMSAによる軍事援助を行うことを決定し,日本とは同年7月15日から東京で交渉が開始された。争点は池田・ロバートソン会談の場合と同様,米側の防衛力増強要求と,日本側のMSA援助を経済援助に限定することの対立であった。結局,これらの協定による米国の軍事的・経済的援助を背景に,日本が自国防衛の責任をとることになり,7月に陸・海・空からなる自衛隊の発足になった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
… 戦後,日本の学校給食は,アメリカのララ(アジア救済連盟)の脱脂粉乳やガリオア(占領地域救済政府資金。ガリオア・エロア資金)やMSA協定の小麦(アメリカ余剰農産物)で賄われ,パン給食が普及した。1976年からは古米の処理もあって米飯給食が導入された。…
…軍隊色を多少なりとも薄めるため,旧軍当時の用語の使用を抑えて,将校を幹部,歩兵を普通科,工兵を施設科,戦車を特車などと呼ぶ独特の命名法が発達したのもこの時期である。 保安隊および警備隊の装備はアメリカの軍事援助によって強化されていったが,その根拠となるMSA協定(〈日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定〉,1954成立)が日本側のいっそうの防衛努力を求め,また,駐留米軍も漸減したので,政府は54年に防衛二法(防衛庁設置法,自衛隊法)を強行成立させ,総理府の外局たる防衛庁の下に,日本の防衛を第1の任務とし,あわせて副次的に国内の治安維持を担当する自衛隊を発足させた。保安隊は陸上自衛隊に,警備隊は海上自衛隊に改編され,また,航空管制権の返還にあわせて航空自衛隊が新設された。…
※「MSA協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加