改訂新版 世界大百科事典 「お手玉」の意味・わかりやすい解説
お手玉 (おてだま)
〈おてだま〉が全国的通称であるが,150以上の別称が確認されている。古くは〈いしなご〉〈いしなどり〉とも呼ばれた遊びである。《和名抄》に〈擲石〉とあり,これについて《和漢三才図会》は〈擲石(いしなご) 和名以之奈介 俗云石奈古〉と記している。《栄華物語》に〈いしなどり〉,《梁塵秘抄》に〈石取り(いしなどり)〉,《類聚名物考》には〈いしなとりいしなごとり又石投取歟〉とある。そして《嬉遊笑覧》に〈いしなとりは今いふ手玉なるべし〉,《物類称呼》にも〈石投(いしなご)江戸にて手玉といふ〉とあれば,お手玉は江戸期になり,江戸を中心とした名称であったことが知られる。
遊具としての手玉は,時代によって次の3種に大別できる。(1)小石。いしなご,いしなどりの名称から推察できる。《拾遺和歌集》に〈春宮の石なとりの石めしければ……〉とあるように,古くはもっぱら小石で行われていた。(2)木の実,貝殻の類。《守貞漫稿》に〈又子を以て石に代て之を為しむくろじとりと云,又ぜぜ貝と云小螺にても之を為し,ぜぜ貝江戸にてきしやごと云〉とある。お手玉遊びの別称に〈きしゃご〉の呼称が各地に散見される。それはキサゴ貝を遊具としたことにちなんだ名称である。(3)布製の手玉。布で小袋をつくり,中に小豆,小石,もみがら,米ぬかなどを入れたもの。形状は角形,俵形が一般的で,かます形のものもある。手玉は1人が10個くらい持っていて,その中に親玉といって多少大きめの色変りのものを1個持つのが常である。《守貞漫稿》に〈江戸にて縮緬小裁を以て方寸ばかりに袋を作り〉とあり,《嬉遊笑覧》に〈津軽にてさまざまみごとなる絹にて丸く袋に縫ひ〉とあるところから,江戸で創作された手玉が,江戸後期にはすでにかなり流布していたことが知られる。
このようにお手玉は,本来小石を使った単純な遊びであったが,遊具の変遷とともに多様化,複合化されて多彩な遊びとなった。大別すると〈突き〉と〈取り〉の2方法がある。(1)突きには両手突き,片手突きがあり,数を数えたり歌に合わせて2~4個の手玉を数多く突く。さらに,10の数あるいは歌詞の節目ごとに,くり,切りの動作を加え高度化して行うこともある。《源平盛衰記》に〈左右の手にて数百万をつき〉とあるのが両手突き,〈片手を以て数百千の一二(ひふ)を突き〉とあるのが片手突きで,方法は今昔変りない。(2)取りとは,床上に決められた数の手玉を置き,親玉を投げ上げた間に1個取り,落下する親玉を受けて手中の手玉を落とす。同様にして全部取り終わると,次は2個取りとなり,所定数を全部完了すれば〈一上り〉である。これを基本としてさまざまな方法が行われる。たとえば〈おさらい形式〉〈お手のせ形式〉〈山越え形式〉など各種各様である。お手玉は女児の遊びと思われがちだが,本来は男女の別なく行われた。
→おはじき
執筆者:半澤 敏郎
外国における類例
ヨーロッパのお手玉はギリシア,ローマ時代からの歴史をもち,ギリシアの詩人アリストファネスは,女子に最もふさわしい遊びと推称している。それが今もジャックストーンズjackstones,ファイブストーンズfivestonesの呼名とともにナックルボーンズknucklebonesと呼ばれるのは,むかしから羊の肢の骨knuckleboneを使ったからである。ファイブストーンズは4個の角型の石と,1個のまるい石で遊び,まるい石を投げて,それが落ちてくるまでに他の石をつかむのである。お手玉の材料には羊の骨のほか,大理石,水晶,サクランボの核,6個の角(つの)をつけた鉄製のものが使われている。中国(おもに華北),モンゴルではシュワツール(耍子児)という女子のお手玉遊びがあるが,季節にかかわりなく遊ぶ他の国々とちがって,おもに正月の遊びである。コーツーハー(噶子哈)という,羊や豚のひづめの骨を赤く染めたり,みがいたりしたもので遊ぶが,石やガラス製のものも使われることがある。遊び方は手がこんでおり,コーツーハーだけで遊ぶものに数種類の方式,銭の穴をとおした輪とコーツーハーをまぜて遊ぶのに数種類の方式があるほか,罰戯として〈めかくし鬼〉などを加えたものなどが見られる。
執筆者:小高 吉三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報