アラブ諸国の独立と主権を擁護するためつくられた地域機構。1944年のエジプトでのアラブ外相会議で議定書を採択し、45年にアラブ7カ国が条約に調印して設立した。加盟国間の関係を強化して政策調整を図り、経済、社会、法制などの諸問題で協力する。21カ国とパレスチナ解放機構(PLO)が加盟し、毎年開催する首脳会議が最高意思決定機関。岸田文雄首相は今年4月30日、カイロのアラブ連盟本部でアブルゲイト事務局長と懇談した。(カイロ共同)
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アラブ諸国の地域協力機構。1945年3月22日、19世紀末以来アラブ民族主義の宿願であったアラブの統一を目ざし、エジプト、イラク、サウジアラビア、シリア、レバノン、イエメン、ヨルダンの7か国を原加盟国として発足。年2回の閣僚級理事会のもとに、政治、経済、軍事、人権など11の常任委員会をもつほか、中央事務局が統轄するイスラエル・ボイコット事務局など各種の機関を有する。当初は経済面に力点が置かれたが、1948年のイスラエル建国、1952年のエジプト革命などの影響を受け、「汎(はん)アラブ主義」に基づく政治・軍事面での活動が強化されるに至った。
連盟内の比較的順調な経済協力とは対照的に、1964年エジプトのナセル大統領の呼びかけで第1回首脳会議が開催されたのちも、サウジアラビアなど保守的な王制諸国とエジプトなど急進的な共和制諸国との対立のため、政治面ではしばしば機能麻痺(まひ)を体験してきた。1967年の第三次中東戦争敗北を機に開催された第4回首脳会議は「不講和、不承認、不交渉」の対イスラエル三原則を採択した。1977年エジプトのサダト大統領が対イスラエル和平のイニシアティブをとり、1979年エジプト・イスラエル平和条約に調印したが、強硬派諸国の反発を招き、エジプトの連盟参加資格停止が決議された。エジプトの連盟復帰が実現したのは1989年のことである。しかし、1980年のイラン・イラク戦争、1990~1991年の湾岸戦争に際しても連盟は共同歩調をとることができなかった。
1981年にはペルシア湾に面するサウジアラビアなど6か国からなる湾岸協力会議(GCC)が、1989年にはリビア、アルジェリアなど北アフリカ5か国によるアラブ・マグレブ連合(AMU)が発足したことも、アラブ連盟の地盤沈下を物語るといえよう。2009年時点で、加盟国は21か国とPLO(パレスチナ解放機構)である。
[黒柳米司]
アラブ諸国間の関係強化,共同利益の追求・調整を目的とする地域機構。アラビア語の正称はJāmi`a al-Duwal al-`Arabīya。1945年3月,エジプト,イラク,シリア,レバノン,サウジアラビア,イエメン,トランス・ヨルダン(現,ヨルダン)の7ヵ国がカイロで会議を開き,そこで締結された連盟規約に基づいて結成された。その後,リビア,モロッコ,チュニジア,スーダン,アルジェリア,クウェート,バーレーン,カタル,オマーン,アラブ首長国連邦,モーリタニア,ソマリア,ジブチ,コモロも加盟,2005年現在,加盟国はパレスティナ解放機構を含めて22である。
規約はアラブ諸国の主権の擁護,紛争の防止,また経済・技術・文化などの分野での相互の提携・協力を目的とすることを定めている。加盟国は,自己の賛成した理事会での決議にのみ拘束される。連盟の最高機関は,加盟国代表をもって構成される理事会で,その下に,政治,経済,社会,文化,法律などの常設委員会をもつ。本部はカイロ(エジプトの資格停止期間中は,チュニス)。連盟は,加盟国に共通の議論の場を提供し,パレスティナ問題,中東戦争などの諸問題で,アラブの政治的立場を対外的に示す機能をもったが,60年代以降,イエメン戦争をはじめアラブ諸国間の紛争と対立が強まるにつれ,問題はアラブ首脳会議という形で処理されるようになってきている。
結成以来,連盟内でのエジプトの発言力は大きかったが,70年にはアラブ統一の旗手であったナーセルを失い,79年3月には,エジプト・イスラエル平和条約締結により,連盟はエジプトの資格停止を決定した。しかし,エジプトを欠いた連盟は,たび重なるイスラエルの強硬政策(エルサレム併合,レバノン侵攻など)に対抗する力を結集できず,またアラブ域内の対立を調整する機能も低下したため,アラブ穏健派諸国からエジプトの連盟復帰を求める声が強まり,89年5月復帰した。
執筆者:中邑 豊朗
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アラブ諸国の主権擁護,関係強化などをうたうアレクサンドリア議定書にもとづき,1945年エジプト,イラク,サウジアラビアなど7カ国で結成される。現在ではパレスチナを含む21カ国1地域が参加する国際機関になっている。64年からは最高意思決定機関としてアラブ首脳会議が開催される。本部はカイロ(エジプト,イスラエルの和解をきっかけにエジプトが資格停止にされたため,一時期本部もチュニスに移るが,現在はカイロに復帰)。70年代頃までは中東和平などで大きな役割を演じたが,その後イラン‐イラク戦争,湾岸戦争などで加盟国内での対立が顕在化,機能・影響力が大幅に低下している。
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