イランイラク戦争(読み)イランイラクセンソウ

デジタル大辞泉 「イランイラク戦争」の意味・読み・例文・類語

イランイラク‐せんそう〔‐センサウ〕【イランイラク戦争】

国境問題、ペルシア湾岸地域の覇権などをめぐってイランイラクとの間に起こった戦争。1980年9月のイラク軍のイラン侵攻によって開戦。1988年8月に停戦。イ‐イ戦争。イラ‐イラ戦争。

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百科事典マイペディア 「イランイラク戦争」の意味・わかりやすい解説

イラン・イラク戦争【イランイラクせんそう】

1980年6月ころから散発していた,シャット・アルアラブ川の領有をめぐるイラン・イラクの国境紛争は,9月22日イラク空軍の本格的な攻撃を契機についに全面戦争化した。その後,戦況はほとんど膠着(こうちゃく)状態に陥った。この戦争の進展の過程で,イラン革命の拡大を懸念した大国はイラクを支援した。さらに,アラブ諸国の足並みが乱れ,イラン側にシリアリビアが,イラク側にヨルダンが接近し,サウジアラビアなどがイラクを間接的に支援する態勢をとった。1988年8月,国連安保理の調停により停戦した。死傷者は約100万人以上といわれる。またこの戦争は交戦国双方がミサイルを撃ち合うという,史上初めてのミサイル戦争でもあった。
→関連項目アバダーンイラク国際連合シリアスカッド中東フセイン湾岸協力会議

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知恵蔵 「イランイラク戦争」の解説

イラン・イラク戦争

イラン、イラクの両国間で、1980年から88年までの8年間にわたって行われた戦争。発端は80年のイラクによるイラン侵略。やがて戦局が逆転、82年以降はイランがイラク領土へと侵攻した。イラクの体制の崩壊がイラン革命の拡大につながると懸念した周辺諸国や地域外の大国は、イラクを支援。結局、88年夏までに国連安保理の停戦決議を両国が受諾して、戦争が終結した。この戦争では双方が、ミサイルで相手国を攻撃した。第2次大戦末期にドイツがロケット兵器で連合国を攻撃した例はあるが、交戦国の双方が長距離ミサイルを撃ち合うという前例はなく、初歩的な形ながら史上初めてのミサイル戦争であった。このパターンは、この戦争の停戦から3年後に戦われた湾岸戦争でも継承された。多国籍軍は巡航ミサイルでイラクを攻撃し、イラクはスカッド改良型ミサイルで反撃した。またこの戦争でイラクが国際法に違反して化学兵器を大量かつ頻繁に、ほぼ公然と使用した。しかし国際社会は何の制裁措置もとらなかった。以来、化学兵器などの大量破壊兵器の拡散阻止が国際社会の重要な課題となっている。この戦争でのイランの勝利を米国を中心とする国際社会は許さず、イランの革命輸出路線をくじき、革命をイラン一国に封じ込めることに成功した。しかしそのために、国際社会は強大なイラク軍の育成に手を貸すこととなり、これがイラクのクウェート侵攻の伏線となった。イラン・イラク戦争は90年に始まる湾岸危機・戦争への序曲であった。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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