伴天連(読み)バテレン

デジタル大辞泉 「伴天連」の意味・読み・例文・類語

バテレン【天連/天連】

《父・神父の意の、〈ポルトガル〉padreから》
キリスト教日本に伝来した当時の、カトリック宣教師の称。パードレ。→イルマン
キリスト教およびキリスト教徒の称。

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精選版 日本国語大辞典 「伴天連」の意味・読み・例文・類語

バテレン【伴天連・破天連・頗姪連】

  1. 〘 名詞 〙 ( [ポルトガル語] padre )
  2. キリスト教が日本に伝来した当時の宣教師・神父に対する呼称パーテレ
    1. [初出の実例]「はてんれん、けふりんしいたされて」(出典:御湯殿上日記‐永祿一二年(1569)四月二五日)
  3. 日本に伝来したキリスト教の俗称。また、その宗徒。バテレン宗。
    1. [初出の実例]「百姓等国の悪党数千人 伴天連吟味ありぬへら也」(出典:俳諧・信徳十百韻(1675))
  4. がむしゃらで荒々しいのを特色とする唄・三味線一風の称。文化年間(一八〇四‐一八大坂に行なわれたもの。〔大坂繁花風土記(1814)〕

伴天連の語誌

( 1 )もとのポルトガル語に「伴天連」などの漢字をあて、その字音によって生じた語。
( 2 )江戸初期まではキリスト教も「伴天連宗」ほか「南蛮宗」「だいうす宗」などと称されたが、次第に「吉利支丹」が一般化した(延宝八年以降は、徳川綱吉の諱を避けて「切支丹」「切死丹」と表記された)。
( 3 )江戸中期から明治にかけてもキリスト教とその宗徒に対する偏見を含んだ俗称として用いられたため、江戸中期以降はのような「荒々しい芸風」を意味したり、侠者一派を「ばてれん組」と称したりすることもあった。

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百科事典マイペディア 「伴天連」の意味・わかりやすい解説

伴天連【バテレン】

キリシタン用語。ポルトガル語のパードレpadre(父,神父)に由来し,ローマ・カトリック教会司祭をさす。〈イルマン〉の上位に立ち,布教組織を指導する。
→関連項目キリシタン禁制宣教師南蛮寺伴天連追放令

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旺文社日本史事典 三訂版 「伴天連」の解説

伴天連
バテレン

安土桃山〜江戸時代中期,キリシタン宣教師のうちの司祭
司祭以外の宣教師をイルマンという。ポルトガル語padre(パードレ:「神父」の意)の転訛。ザビエルをはじめとし,トルレス,ビレラ,フロイス,カブラルオルガンチノ,コエリョ,ヴァリニャーニ,ソテロなどが有名。

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