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南蛮寺 なんばんじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南蛮寺
なんばんじ

キリシタン (吉利支丹) 寺,バテレン (伴天連) 寺ともいう。日本にできたキリシタン聖堂の俗称。天文 21 (1552) 年山口に建てられた大道寺が最初で,特に有名なのは京都の南蛮寺。『南蛮寺興廃記』にみえ,永禄4 (61) 年以降各所を転じたのち天正3 (75) 年四条坊門 (現在の蛸薬師通室町西入ル姥柳町) に着工,翌年完成した。その姿は,狩野元秀の『洛中洛外名所扇面屏風』の「なんばんたふ (南蛮堂) の図」によく描かれている。

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デジタル大辞泉の解説

なんばん‐じ【南蛮寺】

室町末期から安土桃山時代にかけて建てられたキリスト教教会堂の総称。特に、外国人宣教師織田信長の許しを得て、京都安土に建てたものをいうこともある。

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百科事典マイペディアの解説

南蛮寺【なんばんじ】

キリシタン寺,伴天連(バテレン)寺とも。16世紀後半各地に建立されたキリシタンの教会堂の俗称。京都の南蛮寺が最も有名で,1560年ビレラが設け,1578年頃オルガンティーノらが織田信長のほか有力な信徒らの援助をうけて完成。

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世界大百科事典 第2版の解説

なんばんじ【南蛮寺】

キリシタン寺ともいい,安土桃山時代の教会堂(教会および付属施設)。キリスト教が南蛮宗といわれていたのに由来する。教会堂には仏教寺院を改造し,仏教風に大道寺(山口),天門寺(平戸)などと寺号をつけたものもある。また新たに造られた教会堂も,南蛮屛風に見るように,日本の風習や生活様式にならい,木造・瓦ぶきの純日本建築であった。ふつう〈南蛮寺〉といえば,1575年(天正3)京都四条坊門姥柳町に建てられた木造3階建ての教会堂を指す。

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大辞林 第三版の解説

なんばんじ【南蛮寺】

一六世紀後半に日本各地に建てられたキリスト教の教会堂の俗称。1575年京都四条坊門に建立のものが最も著名。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南蛮寺
なんばんじ

キリシタンの教会をさすが、狭義には京都の名所ともなった織豊(しょくほう)時代の四条坊門(京都市中京(なかぎょう)区)の教会をいう。ザビエル以後、来日したイエズス会員は、日本の首都であり宗教界の中心でもあった京都に大教会を建てようと望んだが、妨害にあって容易に実現しえなかった。だがビレラは、四条坊門姥柳(うばやぎ)町、すなわち現在の蛸薬師(たこやくし)通りの北側、室町通りと新町通りの間に地所を入手でき、1575年(天正3)には、イタリア人司祭オルガンティーノが高山右近(うこん)ら信徒の協力のもとに壮麗な三階建て、日本風な大教会の建築に着手し、翌年の夏、被昇天(ひしょうてん)の聖母マリアに奉献の式を行い、78年に完成させるに至った。この都の教会は「南蛮寺」の名で人々に知られ、狩野元秀(かのうげんしゅう)筆「洛中洛外(らくちゅうらくがい)名所図扇面」にも描かれた。現在京都妙心寺(みょうしんじ)にある「1577」の年号とイエズス会紋章入りの南蛮鐘は、南蛮寺のものと思われるが、伝来経路がつまびらかでない。1587年に豊臣(とよとみ)秀吉のキリシタン禁令によって南蛮寺は破却された。[松田毅一]

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