キリシタンの教会をさすが、狭義には京都の名所ともなった織豊(しょくほう)時代の四条坊門(京都市中京(なかぎょう)区)の教会をいう。ザビエル以後、来日したイエズス会員は、日本の首都であり宗教界の中心でもあった京都に大教会を建てようと望んだが、妨害にあって容易に実現しえなかった。だがビレラは、四条坊門姥柳(うばやぎ)町、すなわち現在の蛸薬師(たこやくし)通りの北側、室町通りと新町通りの間に地所を入手でき、1575年(天正3)には、イタリア人司祭オルガンティーノが高山右近(うこん)ら信徒の協力のもとに壮麗な三階建て、日本風な大教会の建築に着手し、翌年の夏、被昇天(ひしょうてん)の聖母マリアに奉献の式を行い、78年に完成させるに至った。この都の教会は「南蛮寺」の名で人々に知られ、狩野元秀(かのうげんしゅう)筆「洛中洛外(らくちゅうらくがい)名所図扇面」にも描かれた。現在京都妙心寺(みょうしんじ)にある「1577」の年号とイエズス会紋章入りの南蛮鐘は、南蛮寺のものと思われるが、伝来経路がつまびらかでない。1587年に豊臣(とよとみ)秀吉のキリシタン禁令によって南蛮寺は破却された。
[松田毅一]
キリシタン寺ともいい,安土桃山時代の教会堂(教会および付属施設)。キリスト教が南蛮宗といわれていたのに由来する。教会堂には仏教寺院を改造し,仏教風に大道寺(山口),天門寺(平戸)などと寺号をつけたものもある。また新たに造られた教会堂も,南蛮屛風に見るように,日本の風習や生活様式にならい,木造・瓦ぶきの純日本建築であった。ふつう〈南蛮寺〉といえば,1575年(天正3)京都四条坊門姥柳町に建てられた木造3階建ての教会堂を指す。これはオルガンティーノ,フロイスら在京のパードレが主となり,キリシタン大名高山父子らの尽力と一般信者の協力によって造られたものである。建築の模様はフロイス著《日本史》に詳述されている。この建物は世人の注目をひき,後世に書かれた多くの排耶書に登場する。
執筆者:岸野 久
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キリシタン寺とも。狭義には,イエズス会によって1576年(天正4)京都四条坊門姥柳(うばやなぎ)町に建立されたキリシタンの教会堂をさすが,広義にはキリシタン教会堂の俗称。1551年(天文20)大内義隆がザビエルに与えた大道寺を最初とし,キリシタン興隆とともに各地に造られた。ほとんどが古寺を利用したものや和風建築であった。京都南蛮寺は豊臣秀吉のバテレン追放令にともない88年に破却され,各地の教会堂も17世紀初め,幕府の弾圧が激しくなるとともに破却された。
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