コエリョ(読み)Coelho,Gaspar

精選版 日本国語大辞典 「コエリョ」の意味・読み・例文・類語

コエリョ

  1. ( Gaspar Coelho ガスパル━ )[ 異表記 ] コエリヨ ポルトガルのイエズス会宣教師。元亀二年(一五七一)来朝、初代の日本準管区長となる。秀吉伴天連(ばてれん)追放令で、有馬領加津佐長崎県加津佐町)に潜伏、同地で没した。(一五三〇頃‐九〇

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朝日日本歴史人物事典 「コエリョ」の解説

コエリョ

没年:天正18.4.4(1590.5.7)
生年:1530頃
イエズス会初代日本準管区長。ポルトガルのオポルト出身。1556年インドのゴアでイエズス会に入る。1560年ごろ司祭に叙階。元亀3(1572)年来日。肥前大村(長崎県)領中心に活動し,のち下地方(主に肥前地方)の上長を務めて集団改宗に成功する。天正7(1579)年日本にきた巡察使ヴァリニァーノの布教体制の改革により日本がインド管区を離脱して準管区に昇格すると,同9年初代準管区長に任命された。積極的な布教政策を展開した結果,彼の統治前半にはキリシタン布教の最盛期を迎え,多くの武将や知識人が改宗した。同14年大坂城に豊臣秀吉を表敬訪問して好遇され布教許可状を交付された。秀吉の案内で天守閣に昇り,のち豊後(大分県)の大友宗麟が大坂城を訪れた折に組み立て式の黄金の茶室を見る機会を得た。秀吉が朝鮮,明への出兵計画を披露してポルトガル船購入とポルトガル人水先案内人雇用につき斡旋を求めたのに対し,彼は積極的に助力することを申し出た。 翌15年秀吉が九州に下向すると肥後(熊本県)八代の陣に見舞い再会した。秀吉の凱旋を祝って大砲搭載の洋式快速船フスタで博多に行き同地に教会用地を請願して付与されたが,突如6月19日(7.24)4カ条につき詰問を受け,翌日伴天連追放令をつきつけられて20日以内に国外に退去することを命じられた。このため宣教師を平戸に集めて善後策を協議し潜伏残留して布教活動を継続することを決議した。その一方で,小西行長,有馬晴信のキリシタン大名などの糾合を企て,マニラ総督に派兵を求めたが失敗した。イエズス会所領の長崎の確保と防備のために武器弾薬を集め,その要塞化を企て政治的に動くなど,上長としての資質に欠けるところがあった。しかし,日本人のイエズス会入会を推進して多くの同宿(伝道士)を入会させた。ヴァリニァーノの来日直前に肥前加津佐(長崎県)で死去。<参考文献>村上直次郎イエズス会日本年報

(五野井隆史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コエリョ」の意味・わかりやすい解説

コエリヨ
こえりよ
Gaspar Coelho
(1527/1531―1590)

ポルトガル人のイエズス会司祭。1571年(元亀2)渡日、下(しも)地方(豊後(ぶんご)〈大分県〉を除く九州地方)修院長として宣教に従事、1581年(天正9)初代の日本副管区長となった。1586年5月4日大坂城で秀吉に謁した。その後1587年7月24日筑前(ちくぜん)(福岡県)箱崎滞在中の秀吉を訪ね、九州平定の祝賀を述べ歓待されたが、その夜突然4か条の詰問を受け、ついで宣教師追放令が発せられた。宣教師たちは九州諸侯の領内に潜伏、コエリヨは加津佐(かづさ)(長崎県南島原(みなみしまばら)市加津佐町)に隠れたが、天正(てんしょう)18年に没した。

[越前喜六 2018年2月16日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コエリョ」の意味・わかりやすい解説

コエリョ
Coelho, José Francisco Trindade

[生]1861.6.18. トラズオズモンテス
[没]1908.6.9. リスボン
ポルトガルの小説家。コインブラ大学法学部を卒業。種々の定期刊行物に Belisárioの筆名執筆。 1889年にリスボンに移り,識字運動献身短編,中編小説で最高のリアリズム作家の一人に数えられる。古い習慣,詩情に満ちた幼年時代,少年の悲劇,擬人化された動物などを描き,リアリズムも過度に陥らず,言語表現に意を用いて,素朴で簡潔な筆致が特徴。短編集『私の愛情』 Os Meus Amores (1891) ,識字運動のための『国民の ABC』O ABC do Povoなど。

コエリョ
Coelho, Gaspar

[生]1527/1531. ポルト
[没]1590.5.7. 加津佐
ポルトガル人のイエズス会士。天亀2 (1571) 年来日,九州地方で布教に活躍。天正9 (81) 年,日本初代副管区長。同 14年大坂城に秀吉を訪問,その九州征討や大陸進攻計画への支援をほのめかせた。のち伴天連追放令が出ると,多数の反対をおして長崎を武装し,教会領を守ろうと計画したが,実現前に病没した。

コエリョ
Coello, Claudio

[生]1635頃.マドリード
[没]1693.4.20. マドリード
スペイン,マドリード派最後の代表的画家。ルーベンス,A.ファン・ダイクらの影響を受けた。 1684年宮廷画家。代表作『聖体をあがめるカルロス2世』 (1685~90,エルエスコリアル修道院祭具室) 。

コエリョ

「サンチェス・コエリョ」のページをご覧ください。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「コエリョ」の解説

コエリョ Coelho, Gaspar

1530?-1590 ポルトガルの宣教師。
イエズス会司祭として元亀(げんき)3年(1572)来日し,肥前大村(長崎県)を中心に活動。天正(てんしょう)9年初代日本準管区長。14年大坂城で豊臣秀吉と会見。翌15年バテレン追放令が出され,肥前加津佐(長崎県)に潜伏中,天正18年5月7日没した。60歳? ポルト出身。

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百科事典マイペディア 「コエリョ」の意味・わかりやすい解説

コエリョ

ポルトガル人宣教師,イエズス会士。ゴアを経て1571年来日,九州地区修院長,日本副管区長を務めた。1586年大坂城で豊臣秀吉に謁見,翌年の伴天連追放令に際して有馬領加津佐に潜伏,同地で没した。

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