和泉黄金塚古墳(読み)いずみこがねづかこふん

国指定史跡ガイド 「和泉黄金塚古墳」の解説

いずみこがねづかこふん【和泉黄金塚古墳】


大阪府和泉市上代(うえだい)町にある古墳時代前期末の前方後円墳。「景初三年」の銘をもつ画文帯四神四獣鏡(がもんたいししんしじゅうきょう)が出土したことで知られる。和泉市は大阪府の泉北地域に位置し、かつて国府国分寺が置かれた和泉国の中心地であった。古墳は信太山(しのだやま)丘陵の先端にあり、全長約94m、後円部の直径約60m、高さ約9m、前方部は推定幅約42m、高さ約6.5m。後円部の粘土槨(ねんどかく)に木製棺の埋葬施設が3つ平行に並んで発掘され、中央槨の棺内からは半三角縁二神二獣鏡、勾玉(まがたま)、棗玉(なつめだま)、管玉(くだたま)、石釧(いしくしろ)、車輪石などが、棺外からは景初三年銘画文帯四神四獣鏡、鉄刀、鉄剣、鉄斧(てっぷ)、鉄鎌などが出土した。東側の槨の棺内からは三角縁盤龍鏡、画文帯四神四獣鏡(2面)、甲、冑、勾玉、棗玉、管玉、鍬形石、水晶製大型切り子玉(日本最大)などが、棺外からは鉄槍、鉄鉾、鉄鏃(てつぞく)などが出土した。これら出土品は一括して国の重要文化財に指定され、東京国立博物館に所蔵されている。論議をよんだのは「景初三年」銘のある画文帯四神四獣鏡で、景初3年(239)は邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)が魏()に朝貢して銅鏡100面を与えられた年である。『魏志倭人伝』の記述との関連性が指摘され、さまざまな推測がなされ、論議されている。また、墳丘には、葺石(ふきいし)と埴輪(はにわ)がめぐらされ、家形・靱(ゆき)形・衣笠形・甲冑形といった形象埴輪がくびれ部付近から集中的に出土している。2008年(平成20)に国の史跡に指定された。JR阪和線富木駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

百科事典マイペディア 「和泉黄金塚古墳」の意味・わかりやすい解説

和泉黄金塚古墳【いずみこがねづかこふん】

大阪府和泉市上代町にある4世紀末の前方後円墳。全長85m。後円部から3基の粘土槨(かく)が発見され,中央槨は長さ8.7mの割竹式木棺,東棺と西棺は長さ4mの箱形木棺と考えられている。鏡,武器装身具など多数の副葬品が出土しているが,なかでも,中央槨から出土した景初3年(239年)の銘の鏡は邪馬台(やまたい)国の卑弥呼(ひみこ)が魏に使を送った年ということで注目されている。
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