山本太郎(読み)ヤマモト タロウ

20世紀日本人名事典 「山本太郎」の解説

山本 太郎
ヤマモト タロウ

昭和期の詩人 法政大学経済学部教授。



生年
大正14(1925)年11月8日

没年
昭和63(1988)年11月5日

出生地
東京大森

学歴〔年〕
東京大学文学部独文学科〔昭和25年〕卒

主な受賞名〔年〕
高村光太郎賞(第4回)〔昭和36年〕「ゴリラ」,読売文学賞(第21回)〔昭和44年〕「覇王紀」,歴程賞(第13回)〔昭和50年〕「ユリシーズ」「鬼文」

経歴
高校卒業後、海軍予備学生として魚雷艇の特攻要員となる。大学卒業後は「アトリエ」編集長などを務め、のち法政大学教授。昭和24年「零度」を創刊、25年「歴程」同人となり、29年「歩行者の祈りの唄」を刊行。48〜49年日本現代詩人会長を務めた。詩集に「ゴリラ」「覇王紀」「単独者の愛の唄」「糺問者の惑いの唄」「譚詩集」、評論集に「詩のふるさと」、詩画集「スサノヲ」、紀行「サハラ放浪」などがある。53年「山本太郎詩全集」(全4巻 思潮社)を出版。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本太郎」の意味・わかりやすい解説

山本太郎
やまもとたろう
(1925―1988)

詩人。東京・大森に生まれる。父は画家山本鼎(かなえ)、母は北原白秋の妹。東京大学独文科卒業。第二次世界大戦末期、魚雷艇(ぎょらいてい)特攻要員として死に直面した青春期を過ごした。金井直(ちょく)らと『零度(れいど)』創刊。『歴程』同人。「僕は素朴に詩をかきはじめた。裸の立ちん棒として出発し、詩を書きつづけた。」というように、いわゆる知的に衰弱した意識とは無縁な、大地にたつ原初的な生命のエネルギーを背後にした問いと願望の詩法を展開する。「私は泣き笑い唸(うな)り歌う/それが私の詩だ」(『私の詩は直線的だ』冒頭)。詩集に『歩行者の祈りの歌』(1954)、『ゴリラ』(1960)、『単独者の愛の唄(うた)』(1961)などがある。

[角田敏郎]

『『山本太郎詩全集』全四巻(1978・思潮社)』『『現代詩文庫4 山本太郎詩集』(1968・思潮社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本太郎」の意味・わかりやすい解説

山本太郎
やまもとたろう

[生]1925.11.8. 東京
[没]1988.11.5. 長野
詩人。美術家山本鼎長男。北原白秋の甥。東京大学独文科卒業。詩誌『零度』を経て『歴程』の同人となった。『歩行者の祈りの唄』 (1954) ,『糺問者の惑いの歌』 (67) など生命感の充実をうたうダイナミックな魅力ある長詩を旺盛に創作した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本太郎」の解説

山本太郎 やまもと-たろう

1925-1988 昭和時代の詩人。
大正14年11月8日生まれ。山本鼎(かなえ)の長男。北原白秋の甥(おい)。金井直(ちょく)らと「零度」を創刊し,昭和26年「歴程」同人となる。詩集に「ゴリラ」「糺問(きゅうもん)者の惑いの唄」「ユリシイズ」など。評論に「詩のふるさと」など。昭和63年11月5日死去。62歳。東京出身。東大卒。

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367日誕生日大事典 「山本太郎」の解説

山本 太郎 (やまもと たろう)

生年月日:1925年11月8日
昭和時代の詩人。法政大学教授;日本現代詩人会長
1988年没

山本 太郎 (やまもと たろう)

生年月日:1974年11月24日
平成時代の俳優

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