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河野謙三
こうのけんぞう
(1901―1983)
政治家。神奈川県小田原の生まれ。兄は河野一郎。1923年(大正12)早稲田(わせだ)大学卒業後、肥料業界に入り、1947年(昭和22)肥料公団理事。1949年公職追放中の一郎の身代りとして衆議院選挙に出馬し当選、1953年参議院に回り、以後連続当選。1958年緑風会から自民党に移る。1971年野党と自民党反主流グループの支持で参議院議長に当選、超党派的見地にたって国会運営を行い参議院改革にも取り組んだ。アマチュア・スポーツ界と関連が深く1975年日本体育協会(現、日本スポーツ協会)会長に就任。
[伊藤 悟 2019年1月21日]
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河野謙三 こうの-けんぞう
1901-1983 昭和時代後期の政治家。
明治34年5月14日生まれ。河野一郎の弟。肥料配給公団理事などを歴任。昭和24年公職追放中の兄一郎にかわり衆議院議員に当選。28年参議院議員(当選5回)となり緑風会に所属。33年自民党にうつる。46年参議院議長となり,参議院の改革にとりくんだ。50年日本体育協会会長。昭和58年10月16日死去。82歳。神奈川県出身。早大卒。
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世界大百科事典(旧版)内の河野謙三の言及
【河野一郎】より
…しかし64年秋,ポスト池田の自民党総裁指名でライバル[佐藤栄作]に敗れて政権の夢は消え,翌年急死した。参議院議長を務めた河野謙三は弟,新自由クラブを結成した河野洋平は長男。【内田 健三】。…
【採決】より
…ただし慣行上,議長は,議員としての表決には加わらない。議長決裁は,現状維持的に行使されるべきだという見解が多いが,1975年7月,参議院議長河野謙三は,法律改正を内容とする法案を成立させるために決裁権を行使した。 上記の意味から転じて,政治的意味で,対立関係にある二大勢力のどちらもが過半数を制しえない状態のもとで,第三党以下の小勢力が多数・少数関係の推移に決定的な役割を演ずることをも,〈キャスティング・ボートをにぎる〉という。…
※「河野謙三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」