広義には自己統一と精神性の開発を目的とする自己修練をさすが,厳密な苦行は肉体を精神的至福に対立する悪とみなし,精神的至福を得るために自発的に身体に苦痛を与える宗教的手段をいう。肉体に苦痛を与える宗教的手段として未開民族にもよくみられるものには,成年式のさい青年に苦痛を与える割礼(かつれい),抜歯をはじめ,毒草を身体になすりつけたり,アリに身をかませたりする方法があるが,これらは集団が他律的に青年に課するもので,苦行とは区別される。未開民族の苦行の典型的なものは,主観主義と個人主義の宗教の発達している北アメリカ東部森林文化領域のインディアンが,ひとりで森林に行って沈思専念し,その結果得られる幻覚によって自己の守護霊を求める方法や,満蒙やシベリアのシャーマン(巫(ふ)者)の訓練であろう。しかし一般に苦行は未開民族では盛んではなく,むしろ高等宗教に発達している。これは苦行が霊と肉との闘争を認める哲学的二元観の発達を前提とするためである。
高等宗教で苦行の最も盛んなのはヒンドゥー教である。インドこそ苦行の起源地であり,それがペルシア,ギリシア,エジプトをとおってヨーロッパの社会に導入されたとみる学者もある。ヒンドゥー教の苦行すなわちタパスtapasは霊肉の二元観のほかに,人生は苦と楽との2面よりなるから,未来において楽の果報を得ようとすれば,現世において苦痛を続けねばならぬとして行われるもので,インドでは乞食(こつじき)のみによって生活を続ける苦行者は現在でも500万人にものぼるとみられている。インドの苦行の方法には自餓の方法,淵(ふち)に身を投ずる方法,火におもむく方法,みずから高い岩からおちる方法,つねに1脚をあげている方法,五熱に身をあぶる方法,つねに灰土,棘刺(きよくし),編椽(へんてん),樹葉,悪草,牛糞の上に臥す方法,灰を身に塗る方法,長髪にして髪を切らない方法,爪を切らぬ方法などが,〈涅槃(ねはん)経〉〈百論疏(そ)〉などに記されている。現在でも苦行禁欲をもって天に生まれる方法となし,それによって生命を絶つ苦行者も少なくないという。仏教では釈迦が成道前に苦行の仙人のもとに行ってその教えを受け,彼らとともに苦行をしたことが仏伝にみえており,また本生(ほんじよう)を説いた経文(きようもん)には前生において種々の難行をしたことが描かれているが,釈迦は苦行をすて,苦楽の二辺をさけて中道を歩むべきことを説いており,仏教では苦行を苦行外道とか,宿作外道とか呼んで外道の中に数えている。もちろん仏教の高僧たちには苦行的な行為をなし,またこのために身をほろぼした記録があるし,真言宗の行者が行う断食,木食(もくじき),山ごもりや,禅宗の座禅のごとき苦行,あるいは修験道の水垢離(みずごり)などのごとき苦行も広義の苦行ではあるが,その元来の意味は身を浄(きよ)めて精神性を開発するものであるから,厳密な意味の苦行ではない。
西洋の苦行にも5世紀ころシリア地方に,高い柱頭に座して苦行した柱頭行者のような特殊なものが現れ,ヘブライでは新約時代に神ヤハウェに対する誓いのために,飲酒の禁をはじめ,食物に特殊な習慣を守り,つねにさすらいの生活を続けたナザレ人(派)のごとき苦行者もあったが,厳密な意味での苦行者はそれほど多くはない。それでも食事の制限,禁欲,清貧などは高く評価され,修道院の生活には苦行的な修練が多く,このような修行に服する人々を世人は尊敬した。なかんずく10世紀から12世紀半ばまでヨーロッパの宗教的活力の中心をなしたクリュニー修道院は苦行的行為の多かったことで有名である。
肉体的欲望に打ち勝って精神生活や道徳的善行を鼓舞するところに苦行の高い宗教的意義が認められるが,極端になると,元来宗教的手段にすぎないものを目的と誤認し,苦行そのものを重要視し,ただいたずらに肉体を苦しめるのみに終わり,ついには生命を失う場合もある。したがってヒューマニズムの立場からは苦行は否定される。また近代的宗教においては,各自の宗教的主体性を重要視するけれども,まったく世俗をはなれて宗教生活のみをすることは事実上不可能でもあり,世俗のままでの宗教生活を重要視するために,広義の苦行精進は重んずるが,厳密な意味の苦行には重きをおかぬものが多い。
執筆者:棚瀬 襄爾
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肉体的欲求を抑えて、自虐(じぎゃく)的に身を痛め、堪えがたい修行に励む宗教的行為で、現世の罪や穢(けがれ)を免れて、人格を完成し、あるいは宿願を達成し、また生天(しょうてん)(天に生まれること)の栄光を得ようと試みる。もとインドにおいて仏教外の宗教行者が、悟りを得るためになした修行をいう。古代インドでは苦行はタパスtapas(熱力の意)とよばれた。それは節食と荒行(あらぎょう)に大別される。前者は減食、菜食から断食(だんじき)に及び、後者は火や淵(ふち)に身を投げたり、灰や棘(いばら)や牛糞の上に臥(ふ)したり、呼吸を止めるなどさまざまな行為がある。苦行の場としては人里離れた林間が選ばれ、苦行林と称した。この苦行によって、修行者は死後の生天を確実にし、神を喜ばせて願い事を達成し、千里眼などの神通(じんずう)を得、さらには延命や生殺までも図った。万能なタパスも、布施(ふせ)や祭祀(さいし)など他の生天倫理に比べると、利己的で非社会的であったうえに、その目的が世俗的であり、またその方法が魔術性に満ちていたので、やがて出現した哲学的な知見に優位をとってかわられた。同じ理由で仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))も苦行を排した。仏陀は出家して禅定(ぜんじょう)を学んだが満足せず、さらに6年間、あらゆる苦行を行った。しかし激しい苦行によって最高の知見、心の平安に達せず、極端な苦行は身を損なうだけで悟りの道ではないとそれを捨てた。後の仏教も、形式的な苦行は排したが、その精進(しょうじん)、忍耐の精神だけを取り入れ、布施や慈悲など仏道にかなった目的のための難行(なんぎょう)や、修験者(しゅげんじゃ)が行う荒行も苦行と称して大いに尊重した。
[辛嶋静志]
『原実著『古典インドの苦行』(1979・春秋社)』▽『日本仏教学会編『仏教における行の問題』(1965・平楽寺書店)』
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